Manchester’s Frozen

Until suicide

ひきこもり小説①「大人になれなかった」

夜に起床した。

特にやることも無いので適当にiPadを開いている。

午前1時、弟が夜勤から帰宅する。

弟が食事をし、風呂に入る。

ぼくはiPadで特に見たい動画も無いのにYouTubeを旋回している。

弟が就寝したのを確認すると、ぼくは母親が買ってきてくれていたセブンのサラダとおにぎりを風呂に持ち込む。

風呂の中で、iPadで違法動画を見ながら食べる。

その後、夜が明けないうちにローソンにエナジードリンクを買いに行く。

じきに朝になる。

両親が起床する。

ぼくは60歳の母親に希死念慮を訴える。

「もう生きていたくない。頑張りたくない。このまま死にたい。何もやる気しない。もう疲れ果てた。もう限界だ。もう終わった」そう言って母親を困らせる。

7時半、59歳の父親がスーツに着替えて出勤する。

ぼくはエナジードリンクメントスを摂取しながらラヴィットを見始める。

あっという間に2時間が過ぎると、ぼくはベッドに寝込んで、違法AV動画を見ながら自慰を始める。

この時点で、家にいる時間帯は常にベッドの上で生活している。

 

ひきこもりのぼくは、ひきこもり経験を無駄にしたくないと思っている。

そのまま活かせられないままだと、ひきこもり経験が単なる「損失」でしかなくなるからだ。

それではひきこもってきた意味が無い。一生を台無しにしてきた意味が無い。

普通に働くのではなく、ひきこもりを活かした活動をしたいのだ。例えばひきこもり経験を元にした小説や自伝の執筆、曲作り、YouTube活動などだ。

だからぼくはそれらを試している。しかし何の成果も出せていない。

何もかも上手くいかない。

そして嫌になって、また現実逃避するのだ。

 

昼過ぎて、母親の買ってきた蒙古タンメン中本を食べながらワールドカップのメンバー発表を見ている。

自分にそんなことをしている資格があるのかという後ろめたさを感じるが、開き直って楽しんでいる。

弟には、表には出さないが内心では「お前だけ働かないで楽園のような生活しやがって」と思われている気がする。

 

ぼくには社会が怖すぎる。

社会で生きていけている人が化け物に思える。

ぼくは16歳から、社会でやっていける能力を喪失した。

毎日働けるなんて思えない。しかし病名なんて付かないから、サポートされない。

それに精神的に働きたくない。

働けないし、働きたくない。しかし働かないと生きていけない。

 

そして夕方、眠りにつく。

何一つ生産性の無い一日が終わる。

 

ぼくはこの先どうなってしまうのだろう。

何かこのひきこもり経験を活かした活動ができないものか。

でも自分は無能だ。到底及ばない。

稼ぐなんて夢のまた夢だ。

でも働きたくない。

頑張りたくない。

自立なんてできそうにない。

自殺するしかない気がする。

 

SNSを見ても、皆病みながらも社会に接続しているし、頑張っていないのは自分だけだと思った。

そして孤独だった。

SNSですら誰とも関われなかった。

フォロワー増えないしいいねも付かない。

でもまあいつかなんとかなるだろうと思っていたし、最悪自殺すればいいと思っていた。

「このまま自分の存在を誰にも知られずに死ぬのかな」みたいな不安があった。

とにかく成り上がりたかった。

でも誰にも見向きもされない。

ファンが付かない。

 

ぼくは両親にとってのペットのような存在だ。

犬猫となんら変わりない。

金のかかるペットだ。

飼い主が死んでも生き続けるペットだ。

飼い主の死後、家に取り残された猫はどうやって生き延びる?

皆子供の頃は犬猫と変わりなかった。

しかし自分で生きていくために人間になる。

人間にならないと、誰かに食わせて貰わないと生きていけない。

誰にも食わせて貰えないなら、そのまま餓死するペットだ。

人間になれなかった。

大人になれなかった。

両親の愛でる実家暮らしのペット。

無駄に生き延びるペット。