Manchester’s Frozen

Until suicide

孤独について

圧倒的孤独。

人間関係は家族だけ。友達ゼロ、恋人いない、知り合いもいない、ひきこもりニートだから社会的な人間関係もゼロ。誰も自分を気にかけない。ラインも家族だけ。

家族がいるじゃないかって? 家族は他者との役割を果たさないんだよ。孤独の解消には「他者からの承認」が必要なんだ。

だからネットに居場所を求めた。でもネットでも孤立。何を放っても、誰からも素通り。誰からもまともな反応ゼロ。Twitterもブログも。

そもそもSNSで得られる承認なんて表層を撫で合う「毛づくろい的コミュニケーション」にすぎないというのに、自分にはそれしかないし、それすら皆無。

 

そして挙句は抑鬱状態。逃げ場が無い。生命の危機。不安や焦燥は取れず、倦怠感に覆われ、食欲は減退し、昼夜逆転して何もやる気が起きない。起き上がれない。セルフネグレクト状態。そして平日昼間に横たわっていることに対する罪悪感がぼくを余計に苦しめる。

今この部屋に首吊りロープがスタンバイされていれば即刻やっている。

 

ひきこもりニート、孤立した孤独、鬱という地獄の3点セット。

ひきこもりニートだから孤独になり、鬱になり、鬱が引いても孤独だけが残って、また鬱になるだけ。

 

精神科に行けばいいのか、でもやはり親の車で親の金で行くのは申し訳無いし恥ずかしいというプライドがある。もうおじさんだし。あまりにも惨めすぎる。でも本当に危ない時には頼るしかないと思う。世間の目が怖い。

 

もしかしたら鬱を治す価値すら無いという自意識があるのかもしれない。孤独による鬱を治しても、結局はただのひきこもりニート子供部屋おじさんが残るだけ。自分には助かる価値が無い。未来が無いから。生きる価値無い、どうせ何も得られないし。

 

完全な孤立。何をしていても震える。人として軸がぶれている。友達は薬だけ(薬すら無い)。ゆーれいみマン。マイスリー全部ゆめ。Sonic disorder。バリで死す。SOSは無駄。もう戦意喪失。

 

 

生身のままじゃ他者から承認されないから、何か価値が必要だった。しかし才能が無い。価値を作れない。誰にも需要が無いのに勝手に供給。誰も責められない。

 

自殺しようとしても誰も悲しんでくれない。だから自殺したくなる。誰か悲しんでくれたらやっと自殺できるから、自殺しなくて済む。もし自殺する時としても、精神的苦痛、絶望感は緩衝される。

誰も悲しんでくれず、全てに見放されて、生きてきた全てが無駄で、自殺してもしきれないほど追い詰められるから自殺したくなるのだ。伝説にすらなれない。これ以上の悲劇があるか?

もし死んだ後に価値になれるのなら助かってると思う。自殺配信をする人は、伝説になって、自殺と引き換えに価値になろうとする。

ぼくはそれすらできそうにない。

ああ嫌だ生きていたくない。

 

輪るピングドラムを見て分かったことは、何者にもなれない生きる価値の無い一般庶民は、愛されればいいということだ。何も残せないということに苦痛を覚える一般庶民は、誰かに愛されることによってその苦痛を免れる。それがピングドラム

「たった一度、だれかの『愛してる』という言葉が必要だった」という台詞があった。誰かにとっての唯一無二の存在になること。誰かに必要とされること。

ぼくはそうなりたくて何かを放ち続けるけど、どこにも引っかからないから尽きることは無い。終わりが見えない。ぼくは要らない存在のまま歯車を回し続けている。

 

今年は俳優とか女優の自殺が相次いだ、報道されるのが羨ましいと思う。

 

最近Twitterがインスタ化して、ぼくから余計に居場所を奪っていく。何をしても紛れないからここで吐き続けている。何かしてないと気が狂うからこうやって駄文を打ち連ねている。

 

これ以上無い絶望を想定して書いている。誰もが見落としている問題を炙り出そうとしている。でもそんな試みも中途半端。誰のためにもならない。

 

ぼくは救いようもないし、全てに見放されている。自分より終わってる人間なんていない。逃げ道が無い、もうどこにもない。誰にも許されない。

どれだけ叫んでも無駄。糸口さえ見出せない。毎日毎日繰り返し。毎日毎日「またか」と思う。どれだけ悩み抜いても何も変わらない。同じように苦しむ。その徒労感、無意味な苦痛に明日も耐えられるのか? 1時間先が怖い。すり減らして何とか呼吸している。

 

いつまで経っても岬ちゃんは来てくれないのでぼくは自殺してしまいそうです。これはぼくの遺書なんです。どうかぼくを忘れないでください。