Manchester’s Frozen

Until suicide

ひきこもり遍歴

2013年。

9月。

高校一年。2学期の始業式の翌日から不登校になり、そのまま高校中退。ひきこもり開始。

家を出る直前に腹痛を起こすようになった。

そして登校が怖くなって、家を出ることができなくなった。そのまま不登校となった。

両親はなんとかぼくを学校に戻そうと必死だった。ある休日、担任が家に来てぼくの部屋の前から呼びかけたが、ぼくは無視した。

周囲には、不登校であるという現実を受け入れてもらえなかった。

後になって、その対応は不登校の対応として誤っていたことが分かった。しかしそのノウハウが無い環境だった。

その月のある日、家出をした。誰もいない昼間、土浦まで歩いた。雨の日だった。リュックを背負って、宛もなく歩いた。気付けば土浦駅前にいた。

一体何がしたかったのだろう。そのまま家に戻らないつもりだったかもしれない。しかし携帯は持っていた。両親からかかってきた電話に出て、わざわざ迎えに来てもらった。心配と迷惑をかけた。

10月〜12月。

家庭内では腫れ物扱いとなった。

ある時、一度だけ制服を来て学校に行って担任と学年主任と面談を受けた。その時は何故こうなったか話せなかった。しかし父親がその場で涙を流したことを覚えている。地獄だった。「自分の育て方を間違っていたのか」というような、反省なのか悔恨なのか。泣くまでのことだったのだろうか。父親を泣かせている。自分は途轍もない過ちを犯しているような気がした。

保健室登校を進められたが、それを拒否した。プライドが許さなかったのだと思う。それは恥だと思っていた。

そしてそのままひきこもり続けた。社会からドロップアウトし、フェードアウトした。

しかしその間も、両親は学費を払い続けていたという。

そのまま中退した。荷物は置きっぱなしだった。

 

父親は松戸市に単身赴任していた。しかしその頃、日立市に転勤することになった。

父親は休日に実家に戻ってくるというサイクルだった。ぼくは一週間置きに、その単身赴任先で過ごした。日立市の閑散とした海辺の街である。

ぼくはそこで特に何もせずに過ごしていた。

その頃父親に、「妹を見習えよ、朝や早くから学校行って、バイトまでしてるというのにお前は……」と説教された。

ぼくは何も学ばず、何も得ず、ただ心臓だけ動かしていた。

スピッツを聴いていたことだけは覚えている。

その間も同級生は、勉学に部活に励んでいた。

晦日、家庭内でいざこざがあり、ぼくは実家に居られなくなった。

 

2014年。

1〜3月。

父の単身赴任先で暮らすことになった。

そこでは生産性の無い生活を送っていた。

ぼくはなんとなく、ミュージシャンになりたいと思っていた。高校中退した作家とか芸人とか音楽家は多かった。自分もそういう存在に憧憬を抱いていた。

そしてその頃偶然神聖かまってちゃんを知った。ボーカルのの子は高校中退不登校で、自分で曲を作り続けて、それが評価されてメジャーデビューした。

ぼくは憧れた。曲を聴き、配信を見た。そこには自分の知らない世界が、高校中退していなかったら全く縁の無かったであろう世界が拡がっていた。

神聖かまってちゃん関連のニコ生やツイキャス配信を欠かさず見ていた。過去の動画も見漁っていた。

4月。

通信制高校に転入した。登校はといえば月一のスクーリングとテスト時だけで、基本は在宅でのレポートだった。相変わらずひきこもりのままだった。

毎週水曜日は父親と外食した。日立市内の餃子の王将すき家、ガスト、サイゼリヤ…… その帰りはブックオフTSUTAYAに寄った。

ぼくは洗濯をし、掃除をし、父親の帰宅前に米を炊くという家事を任されていた。

 

毎週木曜日は、母親が石岡から日立まで車で来てくれた。昼頃に着くように。

そしてぼくは母の車に乗り、日立市内のマクドナルドを買って、スピッツなどを聴きながら、浜辺に車を止めて食べた。

そして午後は、母が手料理を作ってくれた。それは晩飯だった。

 

2014年はそんな暮らしをしていた。

とにかくネット漬けだった。

ぼくは相変わらず無為な生活を続けていた。

基本的には昼頃に起床し、PCを開き、夕方に米を炊き、父親と共に夕食をとり、その後父親が就寝すると再びPCを開き、朝方に就寝する。

 

9月〜12月。

ぼくは急に大学に行きたいと言い出した。

そして大学に行く計画を立てた。独学で勉強するためにテキストも買った。

しかし実際はネット三昧だった。東浩紀とか言論系の動画にハマっていた。思想系の本も読むようになった。

その頃ぼくはブログを始めた。表現者に憧れていた。

 

2015年。

1月。

ぼくは大学進学を諦めた。無理があったのだ。余裕が無かった。賢明な判断だったと思う。

その後、ぼくは石岡の実家に帰還することになった。

その夜、家族が一堂に会して、ハヤシライスを食べた。ぼくは感動した。

 

その頃、高熱を出したりして体調がすぐれていなかった。

ブルーハーツばかり聞いていた。

3月。

鬱状態になった。母の車で、隣町のメンタルクリニックに行った。薬を処方された。

部屋では特に何も出来ず、仰向けになってポエムを書いたり、ブルーハーツを聴いたりしていた。

しかしある朝、4時頃に目が覚めて、ふと鬱が霧散した。何があったのかは覚えていない。

 

4月〜6月。

同年代は高校3年になった。

土浦イオンの島村楽器ストラトのギターを買った。しかしすぐに挫折し、放置するに至った。

主に読書に勤しんでいた。勉強しない代わりに、読書で肩代わりしようとしていたのだと思う。

その頃からネットで音楽理論を学んだりしていた。家にある電子ピアノで、コード弾きでハロプロの曲を弾いたりしていた。ハロプロにハマっていた。

7月、8月。

不眠気味だった。その頃、Twitterで見つけたエミール・シオラン中島義道botに衝撃を受け、ペシミズムに侵食された。

鏡を見ると、隈だらけの眼で、色白で痩せ細った18歳の男が映っていた。

9月。

神聖かまってちゃんに憧れた宅録少年の有象無象の中に、天才がいた。ぼくは彼に心酔した。彼は天才だった。彼は日本のロック界を獲るべきだと思った。

10月〜12月。

ニコニコ動画の洋楽メドレーがきっかけで、初めて洋楽をまともに聴いた。

鹿島アントラーズナビスコカップで優勝したのを見た。歓喜抃舞した。

同年代は、大学受験に勤しんでいた。

それからはダラダラと過ごしていた。なんのプレッシャーも無く、好きなことを好きな時に好きなだけ。楽園のような生活。

平日の昼間、サブスクで映画を観ていた。母親に映画の話をしていたらキレられた。

年末のM-1がきっかけで、お笑い動画ばかり見ていた。

 

2016年。

周囲は大学受験。ぼくはひきこもり。

3月。

福島の会津に家族で旅行した。

4月〜7月。

弟と妹は上京した。

ぼくは一人実家。相変わらず読書していた。

ブログに文章や詩を投稿して、たまに褒められた。

Twitterで、神聖かまってちゃんファンの英雄を発見した。彼は2人のバンドを組んでいた。彼と繋がった。彼は神聖かまってちゃんに関するミニコミを発行していた。ぼくはそれを取り寄せた。感銘を受けた。

彼とツイキャスでコラボしたりもした。

彼考案のハッシュタグ企画に参加した。参加者は2人。

たまに文章や詩を書いてTwitterのフォロワーに褒められたりした。

DTMとマイクとオーディオインターフェースを購入した。

曲作りを開始した。

8月。

初めて曲を投稿した。

高評価が4つほど付いた。嬉しかった。

しかしその後、ミックスに納得行かず、削除して、投稿し直した。

9月〜11月。

通信制高校を卒業した。帰りに両親とパスタ屋でパスタを食った。肩の荷がおりた感じがした。来年からアルバイトでも始めないといけないと感じていたが、どうせ行動しないだろうと思っていた。その予感は的中した。

中卒レベルの学力のひきこもり19歳。実家で家事も料理も何もかもやってもらっている。

周囲は青春を謳歌し、大学に進学し、上京してアルバイトをしながら一人暮らしをしていた。

だから一発逆転したかった。こんな零落した自分は受け入れられなかった。そのための準備期間のつもりだった。

秋になった。洋画を見たりしていた。これといった動きは無い。

「がんばれデモテープ」という企画に参加するも無視される。

12月。

鹿島アントラーズのリーグ優勝に歓喜抃舞した。

iPhone7を購入した。docomoショップの担当者に恋着してしまった。死を考えるほど苦しかった。

祖母の誕生日で近所のレストランの大部屋を予約して食べた。しかし居心地が最悪だった。Happy Birthday to youと歌う従姉妹に戦慄した。ぼくは一人、そそくさと帰宅した。

 

2017年。

1月。

元日、鹿島アントラーズ天皇杯優勝に歓喜抃舞した。

兄弟は帰省していた。祖母の家でしゃぶしゃぶをやった。ぼくはいつものグレーのパーカーを着ていた。

2月。上述の英雄の曲をコピーした。すると彼に「誰かにコピーされることが夢だった。こんなに早く夢が叶うとは」「魂を感じる」と褒められた。

3月〜6月。

同年代は大学2年。ぼくは相も変わらずひきこもり続けていた。

曲作りに挫折していた。

 

何も予定の無い日々だから、好きな時間に起床することが許されていた。堕落して遊び呆けることも許されていた。夜更かしすることを許されていた。身だしなみを整えないことを許されていた。

 

7月。

東京の専門学校に通っていた弟が実家に戻ってきて、家から車でインターン的なものに通っていた。

その頃ぼくは朝まで起きていた。弟が出かけるとぼくは就寝した。昼過ぎに起床した。特に何もしなかった。弟が帰宅すると弟とps4fifaをやった。

 

読書をするでもなく、音楽を聞くでもなく、文章を書くでもなく、何もせずに昼夜逆転生活を送っていた。

いつしかTwitterアカウントの全ツイートを削除してしまった。しかし現在はTwilogに残っている。IDは「@tsueks_」YouTubeの曲動画も削除してしまった。

その頃DAZNに加入した。深夜の海外サッカーを朝方まで見ていた。

8、9月。

ニコ生による過去アニメの放送を見ていた。基本的には深夜に。それは年末まで続いた。

10月。

人生で初めて自慰をする。我慢の限界だった。竹内乃愛というAV女優のサンプル動画だった。大量に放精してしまった。10秒経つか経たないかだった。それまではテクノブレイクを恐れていた。とにかく安堵した。

12月。

鹿島アントラーズが最終節で優勝を逸し、暫し病む。

 

反出生主義を知ったのもこの年だ。非常に感銘を受けた。自分の抱えていたどす黒い霧が晴れたような感動を覚えた。

 

この頃母親は、ぼくに内緒でひきこもりの親達が集う集会的な場所に参加していた。

 

2018年。

1〜3月。

Twitterで病み垢的なアカウントを作った。闇を叫び続けた。

昼夜逆転してスナック菓子を食いながら深夜アニメを見ていた。

The Clashのアルバムを4枚購入した。カミュの異邦人を読んだ。

4〜7月。

ひきこもり。周囲は大学3年。全てのプレッシャーから解放されていた。

無課金のソシャゲで時間を空費していた。

夜な夜な海外サッカーやワールドカップを見ていた。

8月。

TVやこたつを買った。カーペットを敷いて、部屋で床に座れるようにした。21歳になって初めて部屋を部屋らしくした。

カーテンを変えた。

そしてソシャゲを辞めた。洗脳が解けたように視界が開けた。

9月。

TSUTAYAで洋楽を借りて聴いていた。漢字検定に興味を持ち始めた。曲作りなんて全くしていなかった。

あるツイートが問題視されて通報され、病み垢にログインできなくなった。

この頃から千円カットも勿体なく感じるようになり、自分でバリカンで坊主にするようになる。

11月。

鹿島アントラーズACLで優勝して歓喜抃舞した。

 

父親がふるさと納税で電子ドラムを購入する。休日、ぼくはギターで父親とセッションする。

特に何も起こらずこの年は終わる。

 

2019年。

1、2月。

Twitterにへばりついていた。

ぼくは異常なまでの完璧主義だった。ネットニュースを見逃すまいと、Yahooニュースにへばりついていた。有り余る時間と再現の無い自由と果ての無い孤独がそれを許した。そして気になるニュースをスクショしたり、感想をメモしたりしていた。

3月。

iPhoneが壊れ、バックアップを取っていなかったせいで膨大なスクショの画像データが消える。

ショックで数日間寝込んだ。

ソシャゲの件もそうだが、狂気なのだ。ひきこもっていると歯止めが利かないのだ。

4月。

周囲は大学4年。

何かが吹っ切れたぼくは、運動公園でランニングするようになる。運動したのなんて6年振りくらいだ。

そして、休日は両親と外出した。昔住んでいた筑西市の森林公園や成田空港…… ぼくは助手席で、好きな音楽をかけた。

子供用の学習机を廃棄する。

5、6月。

GWは家族が集まり、海辺の公園に行った。非常に楽しかった。夢のような時間だった。

語学に興味を持ち始める。ロシア語やドイツ語や中国語に手を出す。しかし挫折する。

7月。

ロシアの「Мумий Тролль」というロックバンドにハマる。

ロシア国歌を一番だけマスターする。弾き語りで歌う動画をTwitterに投稿するも、恥ずかしくなって1年後に削除する。

8月。

父親と兄弟でいわきへ旅行に行く。ビジネスホテルに泊まる。

その頃、2018年に通報されてログインできなくなった「病み垢」のフォロワーを気まぐれで覗くと、2015年に知った、神聖かまってちゃんに憧れた天才宅録少年がフォローしてくれていた。ぼくはそのアカウントでその人のことについてツイートしていて、それがきっかけでフォローされたのだと思う。

そのことがきっかけで、ぼくは再び音楽と向き合うことになる。

元々ROM専で使っていたTwitterアカウントをメインアカウントにする。IDは@coayz。

そのアカウントで、「天才宅録少年」のものと思われるアカウントをフォローする。しかし通報されたあのアカウントの人間だとは彼には知られていない状態。

9、10月。

読書や曲作りに励む。

並行して、漢検一級を目指すようになる。テキストを暗記する。

夜な夜なDAZNでCLを見ていた。

 

昼夜逆転で迎えたある朝、両親が騒がしかった。オスの飼い猫がベランダから落下して行方不明になったらしい。パニック状態になった。ぼくは罪の意識で、自分の死を考えた。ぼくの命は無価値だから、死んでも誰にも影響など無かった。

母親は精神的に落ち込んでいた。パートを休み、一日中リビングにいて庭を見ていた。近所を捜し歩いていた。しかし見つからなかった。

ぼくは、飼い猫は死んでしまったと思った。2階のベランダから落下して、生き延びていられる方がおかしい。もし生き延びても、骨折していて、寄る辺もなくどこかで野垂れ死んでしまっていると思った。

一週間後、両親は失踪したペットを捜索する業者に頼んで東京から来てもらった。

飼い猫はその業者によって、無事発見された。

奇跡が起こった。痩せ細った姿ではあったが、生きた状態で家に戻ってきた。

安堵した。そのまま戻ってこなかったら、と考えるだけで戦慄する。母親の精神状態が思いやられる。恐らく一生引きずったであろう。

 

借りてきた洋楽のライナーノーツを読むことの有意義さを知る。

ゴダールの『気狂いピエロ』を3回連続で観る。

ラース・フォン・トリアーの映画を観る。

11月。

毎日ブログを更新する。しかし誰にも読まれない。

神聖かまってちゃんファンの英雄」に関する評論めいたものを書いた。彼らをThe SmithsThe Clashと接続させた。勿論誰にも読まれない。

 

同年代は就職活動をしている。


2020年。

1月。

元日、鹿島アントラーズ天皇杯決勝で神戸に敗北し、最悪のスタートを切る。

『ジョニーは戦場へ行った』を観る。

それまで「暗過ぎる」という理由で敬遠していたSyrup16gにどっぷりハマる。

『人間廃棄物』という曲をYouTubeに上げる。Twitterの一人に反応を貰う。ちなみにその人には2年後にブロ解された。

例の「天才宅録少年」と相互フォローになっていたが、彼とDMでやりとりすることがあり、そのまま彼は韜晦してしまった。彼は今どこで何をしているだろう。消息不明である。ぼくは彼に嫌われたと思う。傷付けてしまったかもしれない。彼は天才だった。彼はこの国のロックシーンを制覇できるポテンシャルを秘めていた。彼の曲が大好きだったが伝えられなかった。彼の話をもっとしたいが、それは彼にとって迷惑だろうから控える。

2月。

この歳になって初めてまともに峯田和伸の出ていた映画や銀杏BOYZの楽曲を視聴する。

時計じかけのオレンジ』を観る。

3月。

The Stalinやあぶらだこ、ガセネタ、ガロ系等の80年代アングラ文化に興味を持ち始める。

とりわけ遠藤ミチロウには感銘を受ける。遠藤ミチロウの詩集やユリイカの特集を買う。

ガロ系漫画家山野一の『四丁目の夕日』を読む。

日本でコロナ禍が始まる。

4月。

周囲は大学を卒業して就職し、社会人一年目となる。

ぼくは新世紀エヴァンゲリオンを見る。

コロナの影響で、国が「一億総ひきこもり」みたいな状態になって、不謹慎な話ではあるが、ひきこもりのぼくは少し精神的に安心する。

5月。

Huluで園子温の映画を観る。

作曲する。作詞は上手くいかない。

6月。

惡の華』を読む。

2016年に知り合った神聖かまってちゃんファンの「英雄」と相互フォロー関係になる。2016年の頃は自分は彼の一番のファンで、彼も自分を気にかけてくれていた。彼の出版していたミニコミを愛読していた。しかし彼のバンドはもう活動していないようだった。ぼくは自己紹介しなかった。彼はぼくのことを覚えているだろうか。ぼくだと気付いているだろうか。確かめるためのDMを送ろうとしたがやめた。後に2017年にコピーした彼の曲の音源を投稿した。これを聴いてくれたら一発だろう。

7月。

『JOKER』を鑑賞する。

青森最後の詩人ひろやーに感銘を受ける。彼は同じ青森の寺山修司三上寛、そして東北の遠藤ミチロウの影響を受けているようだった。

オナニーマシーンを初めてまともに聴く。

8月。

23歳になる。

父親と柏に行く。ディスクユニオンモリッシーのソロ等のCDを買う。

精神的に不安定だった。自分の頭を殴る音声動画をYouTubeに投稿した。

9月。

Syrup16g解説ブログを読む。

そこでmanic street preachersを知る。

何故かTommy february6を聴く。完全に娯楽目的。

ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』を読む。

10月。

輪るピングドラム』を見て、自分史上最高のアニメとなる。

その頃、孤立した孤独が原因で精神的に追い込まれる。

今にも自殺しそうな人のブログを読んでいた。

正月振りに兄弟が帰省する。

11月。

孤独が原因で鬱状態になり、震えるようになる。食欲も減退し、自殺を考え、自殺の方法を調べたりする。

ある日曜日、両親とマクドナルドを食べに出かけたが、その後の山の散歩コースで、精神的にしんどくて、父親の後ろで自殺するイメージばかり浮かべていた。車内で聴いたハイロウズがやかましかった。

その夜、夕食のテーブル。バイデン大統領が誕生したニュースが流れていた。ぼくは精神的にしんどくて、テレビを消して欲しかった。すると父親にキレられた。「いつもお前が見たい番組を無理して見てやってるのに。お前の我儘には付き合ってられない」みたいに言われた。ぼくは大泣きした。こんなにしんどいことは伝わっていなかった。ただでさえ追い込まれていたのに、追い討ちをかけられた。

その次の月曜日から父親は一週間出張だった。ぼくを知り、気にかける存在は母親しかいなかった。ぼくは相変わらず孤立した孤独に震えていた。縋るようにSyrup16gを聴いていた。

しかしその頃、上京していた弟が実家に帰宅すると母親から告げられた。奥歯が抜ける夢を見るほど限界だったぼくの精神に安堵が訪れた。

manic street preachersの『motorcycle emptiness』のオケをGarageBandで作り、歌った音源をYouTubeに投稿した。

そして弟が帰宅した。家族で鹿島アントラーズの試合を見た。穏やかな気分だった。

 

12月。

弟のお陰で精神が安定する。

THE MANZAIで見たウーマンラッシュアワーに感銘を受ける。村本の本を買う。

ウーマンラッシュアワーがMCをしていたAKBの番組を違法視聴する。

ウエストランドM-1の決勝に進出し、歓喜する。

安定した精神のまま、2020年を終える。

 

2021年。

1、2月。

『終劇エヴァ』を観る。

基本的にだらけた生活を送る。

曲作りは続けていた。

3月。

地獄の強迫性障害の経験により、生死の境をさまよった。その時の経験談はここには書き切れないから別のエントリに書いた。

4月。

周囲は社会人2年目。

5〜7月。

GW、両親と犬吠埼灯台に行った。

曲作りをする。曲投稿を再開する。

ショーペンハウアーの『自殺について』を読む。

8月。

24歳になる。東京五輪を見ている。家族が夏休み。家族で母の実家にあったファミコンぷよぷよや64のマリオで毎日のように遊んでいた。家族総出で焼肉屋で誕生日を祝った。

9月。

何曲か投稿する。Twitterの人に曲を初めて褒められる。歓喜する。この上ない喜び。それで満足してしまう。

あとは久々に漢字検定の勉強をする。

10月。

仮面ライダークウガを見る。

ミシェル・ウエルベックの『プラットフォーム』を読む。名著だった。

11月。

父親と妹と佐野のアウトレットに行く。

2015年からかけていた眼鏡が故障したのでショッピングモールのZoffで眼鏡を買う。

父親とサイクリングをするために、サイクリング用のジャージと自転車を買う。

両親とコメダ珈琲に行く。アイスココアをおすすめされた。デミグラスバーガーを食べた。

弟が再び実家を出て一人暮らしを始めた。

12月。

父親と秋葉原に行く。秋葉原アパホテルに一泊する。

来年からYouTubeに動画を投稿しようと考える。三脚やマイクを買う。

 

2022年。

1月。

元日から日記を付けるようになる。それは今でも続いている。

原付免許を取ろうとする。しかし諦める。

頻繁に近所の運動公園でランニングするようになる。

定期的に休日に早朝から父親と霞ヶ浦沿いをサイクリングするようになる。

2月。

有り余る時間を利用してポイ活を始めた。

漢字検定の目標を一級から準一級に下げる。勉強に勤しむ。

3月。

2013年から2016年まで使用していた膨大な量のAndroidのメモをiPhoneのカメラで全部撮影した。

壊れかけていたiPhone7を機種変更する。ドコモショップでiPhone13を購入する。

動画編集の真似事をする。

4月。

周囲は社会人3年目。

ぼくは化物語を読んでいる。

再び秋葉原に行く。

Syrup16g研究系YouTuberを目論んで、過去のSyrup16gのインタビューの掲載された雑誌をフリマアプリで買い漁る。しかし諦める。

5月。

GW、両親と妹で宇都宮に行く。

動画投稿を始める。すると批判的なコメントの集中砲火。YouTubeの難しさを痛感する。

6月。

ボロクソに叩かれ、心が折れる。正論で説教される。その日に、その怒りと悔しさの勢いで即興で歌った動画を出す。すると「名曲」というコメントを貰う。

7月。

ひきこもり相談支援センターに行く。

8月。

弟が実家に戻る。

鬱状態になる。

立ち直って、漢字検定準一級の勉強をする。合格レベルにまで達する。

9月。

ロックスターになれなかった悲しみで鬱が再発する。自分はロックバンドのフロントマンが天職だと今でも思っている。それをもう諦めるしかないという現実に襲われて、切実に死を願う。

それでも地道に曲作りをする。遺書のようにブログに大量の文章を書く。

PCが壊れる。パニック状態に陥る。

17歳のカルテ』を観る。非常に良かった。

10日。

父親がPCを買ってくれる。データはほぼ無事復旧した。

気分転換に、父親と越谷レイクタウンに行く。特に何も買わなかった。

11月。

YouTubeコラボのオファーを頂き、めちゃコマと対談をする。

ワールドカップが開幕し、ほぼ全試合見る。

日本代表戦は両親と見ている。両親と手を取り合って歓喜する。

しかし病んで、ダイソーでロープを買う。

12月。

ほぼ寝たきり。

ワールドカップを見ている。

 

2023年。

1月。

漢字検定一級を諦める。準一級の勉強を再開する。

2月。

父が60の誕生日で寿司を食べる。

勉強を辞める。

U-NEXTで『ハウス・ジャック・ビルト』を観る。

3月。

MV撮影をする。filmoraというソフトで編集する。

4月。

MVを完成させる。filmoraの有料版を買う。

人生の目標を失う。『幾度目かの最期』を読む。

Amazonでロープを買う。遺書を書く。

5月。

GW後、酷く病む。YouTubeの失敗や、Twitterの休眠アカウント削除が引き金。イーロン・マスク死ね。

もう自殺するしかない。