Manchester’s Frozen

Until suicide

享年

元日の午後。疲れ果ててただ眠っているだけ。

 

12月は漢検の勉強をしていた。何のために? 自分でも分からない。

 

晦日は0時に起床した。30日は家族で焼肉をしていた。自分は深夜にフライパンで残されていた肉と野菜を焼いた。

一日中漢検一級の勉強をしている。合格できるはずないのに。準一級では満足できないから。でも合格できる気がしない。

午後になってもまともに眠れず、そのまま年を越した。家族は寝静まった。蕎麦を食べた。入浴した。Abemaでアーセナルvsブライトンを見ていた。

夜が明けて爆笑ヒットパレードを見る。

今年はどうなるのだろう。ここまで不安なスタートを切った 年がかつてあっただろうか。

 

自分の発するコンテンツは梨の礫。金や価値にならないと無駄。

 

希望という名の現実逃避という切り札を使えなくなってきている。

 

もう希望の蕾は枯れかけている。

自殺のことばかり考えてしまう。

 

YouTubeと向き合うことができない。

適当に数分で作った動画が最も再生されて、代表作となっている。不服である。

 

まだまだ書きたいことがある。まるで遺書を遺すようだ。そういうつもりで生きてきた。だけど死ねていない。生きるように生きてこなかったから。今更シフトチェンジしても遅いと思う。だから死にたい。

 

現実を見ると発狂する。しかし現実逃避していると問題は悪化する。八方塞がり。

これ以上無駄を重ねるのはしんどいから、自殺して終わらせたい。

生きている限り希望を持ってしまうから。

それはいずれ失望に変わる希望。

だからもう何もかも辞めたくなってしまったのだ。

何らかの方法で報われようとした。しかし皿の上で放置された。そして腐っていった。

さようなら。

もう自殺しかなくなったひきこもりニートは、ネットに遺書を遺して自殺していった。自分がやっているのもまさにそれ。しかし誰にも読まれなさそう。そこが彼らとの違い。だから無敵の人になっちまうよ。

報われるためにこれだけ準備してきたのに。結局は誰にも読まれない遺書を書くための投資だったのか。馬鹿らしい。こんな結末なら初めから頑張って来なければよかった。でも希望に向かっていなければ生きてこれなかったのも事実だ。

 

世界は動いていく。信じられないくらい長い期間ひきこもってきた。

自殺は働かない罰なのだろう。そして無能はどこまでも孤独だ。

まるで将来の成功者であるように生きてきた罰だ。

働かずに両親とピザを食べながらワールドカップ見たり、深夜にささみ揚げとほろよいで晩酌したり、アイドル番組やサンドリや沈黙の金曜日を違法視聴しながら漢検の勉強をしたりしていた。

そのツケはいつか回ってくる。それを清算できないのなら、自殺するしかない。

どれだけ人生が終わっていようと、将来成功するからと自分に言い聞かせて逃げてきた。

しかし現実は成功できない。

一生返済できない高額の請求書。

免許無い資格無い。取る気無い。

 

「自殺したら俺の人生が壊れる」と兄弟に言われた。

どうか許してほしい。

家族を悲しませたくないから、以外に生きている意味が無い。

自分の命は尊くない。綺麗事は死ね。

 

畢竟自分は全部中途半端な器用貧乏人間。

中途半端に勉強できて中途半端に音楽できる。長年サッカーやってきたから運動神経もそこそこ、持久力もある。小学生の頃、習ってもいないのに書き初めで金賞とった。

たまに歌声やセンスを褒められる。

しかしだから何だ。全てが中途半端なのだ。

結局一円にもなりやしないのだ。うまい棒一本も買えない。

 

周囲はフルタイム。月収○○万で地獄、とかいうツイートも見かける。

ぼくに残された道は自殺しかないというのは自明である。

 

死ぬか生きるかの生存ゲームに敗けた。

 

芸能人の結婚ニュースが気色悪い。

 

本当はもっと生きたかった。自ら命を絶つなんて馬鹿げていると思う。

何かを成し遂げたかった。命を有意義に使いたかった。生きるための人生なんて、楽しむための人生なんて無くていいから。

しかしそんな生き方は許されない。

 

不服のドロップアウトを余儀なくされたひきこもりは往々にしてこうなる。

 

初めから無かったことにしたい。失敗作は処分あるのみ。初めから作らなかったことに。

途中で失敗し、産業廃棄物になるために生まれた。早いうちに棄てないと。

誰もが必要だなんて綺麗事である。

 

一年後、生きている気がしない。