Manchester’s Frozen

Until suicide

首吊りたい

死にたい。

18歳の頃、25歳で燻っている大人を鼻で笑っていたというか、「あんな25歳にはなりたくない」「25歳であんな状態だったら俺だったら耐えられない」「25とか歳取りすぎだろ」みたいに思っていた。

そして自分は今25歳だ。

まさにあの頃鼻で笑っていた、燻っている25歳だ。

いや、それ以下かもしれない。

自分こそ最底辺だ。

 

苦しくて仕方ない。

今回はもう本当に限界かもしれない。

首吊る前に誰かに愛されたかった。

このまま首吊って死ぬなんて、死んでも死にきれない。

でももう限界だわ。

なんで俺が自殺しないといけないんだ。

俺に何の罪があるというのだ。

 

本当は死にたいし、死んだ方がいい。それを包み隠して生きている。無理して生きている。死ねないというだけで。生きることを一切肯定できない。

 

イムリミット過ぎてしまったかもね。

全てを失ったんだ。

若者時代を空っぽに過ごしてしまった。

その代償がこの鬱と絶望なのだろうね。

18歳の頃から一歩も進めていない。

何のために失い、何のために苦労してきたのか。

空っぽのままここまで来てしまった。

結局何の成果も上げられなかった。

結局誰にも見向きもされなかった。

もう余力は残っていない。

 

出席日数だったり報酬だったり、やり甲斐があるから頑張れる。しかし7年間ぼくのしてきたことは、誰にも求められないことだった。仕事でも義務でもなんでもない。

誰にも認められなかった。

何の形にもならなかった。

同じように頑張ってきたのに。

所詮は消費者止まり。

もう疲れ果てた。

もう限界だ。

自殺したい。

 

遺書を書いて自殺するしかない。