Manchester’s Frozen

Until suicide

Too late to live

昼過ぎまで寝ている。家族は神社へ。

雄の飼い猫を病院に預けている。

夕方帰ってきて、猫を迎える。

 

マルコポロリと深夜のハチミツを見ていた。

劇団ひとりダチョウ倶楽部のどうぞどうぞをスカすというくだりで、天に祈りを捧げていた。

 

 

昔の飼い猫の写真を見ていると気が狂いそうなほど苦しい。

 

生きるなら真剣に生きるべきだったし、死ぬなら本気で死なないといけない。どちらも中途半端だ。生きたい気持ちも死にたい気持ちも中途半端だ。

 

生きるには手遅れだ。しかし死ぬにも手遅れだ。

Too late to dieというハイロウズの曲がある。「死ぬには手遅れ」という意味だ。

死ぬには手遅れというのは、生きるには手遅れということでもあると思う。

生きるには手遅れになってしまったら、もういつ死んでもどうでもいい。

しかし死期を逃しても、死ぬことはいつでもできる。

生きる期限を逃しても生きることはできる。

どちらの方がマシ?

 

自殺することを念頭に置いて生きてきました。

死後のことしか考えていなかった。

現世は諦めていたから。

だから遺書を書いて死ぬことだけを考えていた。

なるべくなら生きたかったが、無理だった。

 

手遅れの死、手遅れの生、どう考えても前者の方がマシだ。

 

自分を守りたいから死ぬだけ。

こんな文章を書いているのは死ぬのが悔しい故の細やかな抵抗である。