5月17日、昼過ぎ、Twitterを見ていたらショッキングな情報が飛び込んできた。Googleの休眠アカウントが削除されるというのだ。
Twitterは数日前、休眠アカウントの削除を開始すると発表した。そして今回、Googleも同じようなことをするらしい。
そこでまず懸念したのが、YouTubeに関する問題だ。
YouTubeはGoogleが運営するサービスだから、YouTubeを利用するにはGoogleアカウントが必要である。だからGoogleアカウントが消えてしまえば、当然そのアカウントで利用されているYouTubeチャンネルに投稿された動画やコメントは削除されることになる。
そのことでぼくはたちまち病んでしまった。
YouTubeがいつまで続くか分からないが、本人の意思で削除されない限りは、YouTubeというサービスが存続する限りは動画やコメントは、全てのアカウントやチャンネルは消えることはないと思っていた。
今回の削除対象となる休眠アカウントや故人のチャンネルの中にも、今でも視聴され愛されているような遺産とも呼ぶべき動画やチャンネルがたくさんある。
これには海外の人も怒りを表明していた。日本人はあまりいなかった。
自分の再生リストの中にも、多くの削除対象となる動画が入っているだろう。
それらがあと数ヶ月で消えてしまうというのだ。
そして何より辛いのは、自分のチャンネルに及ぼす影響についてである。
今はもう動画投稿をしなくなったけれど、生きた証としてチャンネルを残したかった。そうすれば心置きなく自殺することができた。
しかしそれが叶わなくなるのだ。
自分の全てがたったの2年ほどで全て消えてしまうのだ。
これはやはり負け組に対する平手打ちなのだろう。
勝ち組は人々の記憶に残ったり、商品化されて全国に物理的なアイテムとして流通されたり、保存されたり。語り継がれたり。
負け組はネットでそのような活動をしても、いずれはこのような結末が待っている。そして何も残らず死んでいく。
Twitterの休眠アカウント削除があまりにも辛いという話はついこの間したばかりだ。
死者の遺産を消すのは自分にとっては大きな損失であるという話をした。
しかし一番の問題は自分に及ぼす影響の大きさである。
TwitterもYouTubeも、生きた証として残したかった。ぼくの遺書なのだ。それが自分の死後、程なくして全て消えてしまうというのだ。
タイミングが最悪である。自分が生きているうちは出くわしたくなかったニュースである。
ぼくはあと数日で自殺するつもりでいた。
今年に入って、TwitterもYouTubeも休眠アカウントを削除するという、自分にとって命を失うこと以上にショッキングな出来事が発生した。これはぼくにとって死に至る打撃である。
あと一年遅ければ、こんなニュースを知らずに自殺できたのかな。5年後だったら……
しかし18日、YouTubeの方は問題無いという海外ジャーナリストのツイートを発見した。
これはどうなるか分からない。ただ、一抹の希望であることは確かだ。
そしてTwilogもTogetterに買収されたかなんかでツイートの記録を復活するとかなんとか。
でもどうでもいいです。アカウントが消えればTwilogだって消えます。
確実にいえることは、このはてなブログが最後の砦である。これさえ失えばもう本当の終わりです。
手立てがありません。負け組の最後の救済措置も消えました。
できればぼくのTwitterアカウントもYouTubeチャンネルも、それぞれのサービスが終了するまで消えないでほしい。当然そうなると思っていた。思い込んでいた。
まあその願いは叶わないようです。失意のまま自殺します。希望の全てを失って、自分の全てを失って自殺します。
生きた痕跡など何も残したくないという人は、自分がなんのために生きているのかとか考えたことが無さそう。
何かを残したいというのは抗議であり復讐心である。
「そんなことして何になる?」「何故死ななきゃならないの?」と言われるが、意味も目的も大義も無く空っぽのまま生き延ばすよりはマシである。
自分は心から生きたくないし死んだ方がいい。生まれるべきではなかった。だから死ぬ。生きることは屈することだ。抗議して死ぬ。
自殺したい要因が山ほどある。その問題を殺すよりも自分を殺した方が遥かに楽である。ここに書けない失望が山ほどある。
曲についての問題は大きいかな。制作途中の曲もあるし、もうMVだって完成しているのに、諸事情により公開できない。それが死ぬほどつらい。
死んで可能性を殺すのはもったいないけれど、もう耐えられないんだ。ここで死んで生前の自分の未練は晴らせないけど、仕方ないんだ。
希望が無いと生きていけない。
僅少ながらも希望があった。だから生きていけた。現実が最悪でも希望があった。
だから今死にたい。未練はあるけど希望は残した。だから死ねる。自殺するために希望を育ててきた。そして現実がこの上なく最悪なのだ。だから死ぬなら今だ。
でもその希望さえも消えるんだね。だから生きることも死ぬこともできなくなる。
育てた希望が消える。死にたい時に死ねない。希望が無いと生きることも死ぬこともできない。だから本当に死んでしまう。