Manchester’s Frozen

Until suicide

nobody's fault but mine

誰が悪いのかは分からない。

でも誰も責められないのだから、自分が100%悪いのだと思う。

大森靖子が「自殺なんてないのさ 誰が君を殺した?」と歌っていた。

自殺したら、他責になる。

自殺するまでは100%自責なのに、自殺が完遂したその瞬間に他責の余地が介入する。

 

過酷過ぎて壊れた。

全てを手放す勇気は無かった。

劣等感に疲れ果てた。

逃げていれば楽だったが、自分は非凡な道を選んでしまったのだ。

Twitterのフォロワー数で一喜一憂するような世界に人生を賭けてしまったのだ。

初めから向いていなかった。

転落人生だった。

もう時間切れだろう。

やり直すには10年遅いぜ。

 

ぼくは失敗例だ。

こんなに追い込まれているのがその証拠だ。

ぼくは死ぬ必要なんて無いのかもしれない。

しかしもう壊れ過ぎた。

ぼくはここで終わりだ。

心が死んだのだ。

ぼくが生まれる前に、ぼくの問題は解決されていてほしかった。

誰かは犠牲者になる。

たまたま運が悪かった。

仕方ない。

 

もうこれ以上苦しむことはできない。

これ以上苦しめばJOKERになる。