Manchester’s Frozen

Until suicide

手遅れ

昨日の夕方に起床した。

そして、今、20時。24時間以上眠れない。

 

頭の中がパニック。寝たきり。

昨日の深夜は落ち着いたのだが、夜が明けるにつれて、鬱が舞い込んできた。

午前中は、母親の誕生日だということを思い出して、焦りを覚えた。

そして午後、カーテンを締め切った、真夏のように暑くエアコンの効いた部屋で、あることを思い出してしまっていた。

 

ぼくは音楽家になりたかったのだ。ロックバンドのギターボーカルをやりたかったんだ。しかし惰性で続けていた。そして、なんの実績も残せなかった。行動していないから。

ぼくに残された道はそれしかなかったんだということを今更になって思い出した。

10代の頃、憧れていたんだ。自分もあんなふうになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやるって息巻いていた。

しかし、もう何年も、そのことを忘れていた。無意識にはあったのかもしれないが、完全に無視していた。

 

何者かになりたかった。

高校中退して、残された道は不本意で真っ暗だった。だからミュージシャンになりたかった。そうすれば稼げるし、心からやりたいことだし、名声も得られる。

やりたくないことで、低賃金で、賞賛などとは無縁の生き甲斐の無い負け犬人生は御免だった。そんな夢も希望も無い敗残人生を何十年も続けていかないといけないと思うとゾッとした。そうなったらもう自殺するしかないのだろうなと思っていた。

 

このことを確かに10代の頃から恐れていた。夢が叶わなければ、その後の人生は消化試合になる。だから叶わなければ死ぬしかないと考えていた。

 

そして、「その時」は来てしまった。

 

世間的に認められないなら意味が無いんだ。だからもうこの先、何のためにやっていけばいいのか、そして何を糧に生きていけばいいのか分からなくなった。希望が完全に消えた。

 

いや、消えたわけではないのだろう。まだ25歳という言い方も出来ると思う。最後のチャンスかもしれない。しかしそのラストチャンスも、みすみす逃すだろうと思う。

それが怖い。まだチャンスがあるとわかっていて自ら逃すということ。そして後悔するということ。とにかく後悔するのが怖い。そして、後悔するのが目に見えているから怖い。5年後、5年前にはまだチャンスがあって、それをわかっていたのにそれを自らの手で逃した、挑戦することすらしなかった、って後悔するのが。もう人生やめたい。

 

とにかく何が問題かというと、夢を忘れていたことである。環境も時間も死ぬほどあったというのに。

だから後悔が尽きないのだ。諦めがつかない。永遠に不衛生な精神を抱え込まないといけない。

夢を常に意識し続けていれば、今自分はこんな絶望感に浸っていないだろう。

 

確か昨年までは、誰かに反応を貰いたいという一心でやっていたのだと思う。そんな気がする。そして昨年から今年にかけて、細やかながら肯定的なコメントを貰うということがあった。嬉しかった。

しかしそれがゴールではなかったのだ。

 

笑っている暇なんて無かったんだ。余裕ぶっこいていた自分をぶん殴りたい。

 

ぼくは悟れない。楽になれない。思考停止していたいのに。

ぼくは一生負け組として生きていかないといけないのか。ステージを見て、輝かしくて、もう届かなくて……

年老いたどうにもならないコンプレックス塗れのクソジジイになっていくのか? 耐えられないよ。

 

しかし分からない。目の前のことをやる他ないだろう。

今作っている曲は、誰かに聴いて貰えるだろうか。結局聴いて貰える人がいるというだけで十分なのかもしれない。完全に無視されるよりはマシだ。多くを望まなければ。

 

高校中退していなかったら、ギターを持つことも無かったし、夢を追うことも無かったし、夢を追っていたことを忘れることも無かったし、そのことに気付いて絶望することも無かった。

 

高校中退して何もかも壊れた。

そして、何もかも手遅れ。

今はもう身辺整理の段階なんだ。

死後に評価されるかな? 死後に誰かに惜しまれるかな?

自殺なんて非現実的な手段を、もう食事とか風呂のように当たり前のように考えている。異常だよな。

 

もっと人生と向き合う必要があったのは、人生を改善するためではなく、後悔を残さないためである。

これからどれだけ悔いなくやれたとしても、後悔は尽きないのだ。

 

夢の死は、ぼくの死だ。生きる意味も価値も糧も無い。何をやっても虚しいから、死にたい。

 

死にたい。誰にも相談できないし、解決できるようなことでもない。