貴方は「どんな人間だって価値がある」と「価値の無い人間もいる」どちらを言われたいですか? ぼくは後者ですね。世界はぼくを必要としていないから。ぼくが死んだところで世界には何の影響も無い。無価値な命がただただ消えるだけ。価値があるなら、何かしら歴史に残ったりするのでしょう。世界に多大なる損害を与えるのでしょう。
ぼくは崖から突き落とすような生きる絶望を欲している。
人を救おうとして発される綺麗事は事実に反する場合が多く、救おうとせず突き放すような言葉の方が真実に近く、救おうとするものより救いに近い。
それは皮肉な話だと思います。救おうとすればするほど救いから遠ざかる。そして、救おうとしないものの方が救いに近い。
そしてそのことは「救いなんて無い」ってことを暗に証明しているともいえる……
ぼくは真実を求めている。
世界は真実を見ることを嫌がる。それは何故か。
それはみんなが「真実は綺麗事より綺麗だが、触ると汚れるから」だと思う。
みんなまやかしの綺麗さで満足している。それで満足できている。
しかしそれでは満足できない人間もいる。そういう人間は、泥の中に手を突っ込む。その中には綺麗事より綺麗な真実があるから。世界は泥の中に手を突っ込むことを嫌がる。
真実は残酷で、直視すると絶望する。物事というのは、突き詰めれば身も蓋もない話ばかりだ。
しかしぼくのような残酷な運命を背負った人間は、その絶望を欲している。もう人生は崖から突き落とされているのかもしれない。だから言葉も崖から突き落としてほしい。命を崖から突き落とす勇気が無いから……