Manchester’s Frozen

Until suicide

日記

17日(水)。

にけつッ!!見る。

3時ごろ寝る。

11時ごろ起きる。

ラヴィット録画見る、面白い回。

夜下痢する。

きょうだいに、きょうだいガチャ大失敗だと言われる。

3日ぶりの風呂。

 

 

苦しいです。刻一刻とその日が迫ってきている。

 

どこまでが自分の責任なのだろう?

自分を責める要素がどこまであるのか?

 

無理しなくていいと言ってくれよ。

誰に許されたいのかがわからない。

 

心配事は何一つ解決されず、それぞれが時間の経過と共に悪化していって、諦めたり、後悔したり、苦しんだりする。

 

ここまで不運な人間が他にいるだろうか?

何故このタイミングで猫が瀕死になり、自分にも腫瘍ができ、親類が倒れるのか。

動画を作らないといけなくて、その焦りもある。しかし作っても望むような成果は得られない。

昨年の11月からそれらの心配事や問題が一挙に自分を襲った。

何から手をつければいいのかわからない。

 

現実逃避は有効だと思う。

辛かったら休めと言われる。しかしそれを現実逃避とされるのは心外である。

 

精神的に死んでいて、身体を終わらせないといけないのに、餓死するのが怖いから何かを胃に入れる。

現在の恐怖の序列だと、餓死>自殺>生である。理想は、餓死>生>自殺である。

自殺の恐怖を生きる恐怖以下に抑えつけないといけない。

死ぬことだけが唯一信じられる行為である。

生きるためにする全てが無意味で害悪。

自分は生きなくて良い。

 

もうこれ以上は耐えられません。