Manchester’s Frozen

Until suicide

風習は死ねよ

父親は預かっていた札を返しに、わざわざ川崎大師へ行くらしい。

ぼくは呆れてしまいました。

世間体やありもしない常識のために、全く無意味でつまらないことに金と時間を費やすわけです。

 

面白ければ、楽しければまあよいのですが、全く仕事的に、限りなく義務的にそれをやる姿なんて見ていられません。父親の場合は残念ながら前者でしょう。

初詣だって、楽しければいいんです。しかしただ義務的に神社に並んで神(笑)に礼をし、拍手をする。思考停止も甚だしいです。

 

効力を信じているのでしょうか? 他にやるべきことややりたいことは無いのでしょうか? ぼくが自殺でもすれば気づいてもらえるんでしょうね、自分の洗脳、愚かさ、愚かしさに。死ぬまで気付かないのでしょうね。

 

厄年に親戚総出で、歳の数だけ団子を食べたりしたこともあるそうです。

 

幼い頃は、誰だって洗脳されるんです。世の風習を当たり前のものとして受け入れさせられます。しかしそれは幻想です。

この世にはそのことに気付く人と気付かない人、気付いても世間体のためにそれを手放さない人がいます。

参拝、節分、葬式、お彼岸、お歳暮…… 全てやらなくていいのです。それら風習の行為に効力は無いし、やらないと懲罰が待っているわけでもありません。つまらなくてやらなくて良くて無意味。最悪です。

 

実家には高そうな神棚がありますが、はっきりいってアホくさいです。無くていいわけですから。そんなものに高額払ってんじゃねえよ。もっと有意義な使い方があっはたはずなんだよ。

世間体を金で買ったんですね……

 

父親は、世間体や安心のためにはどんな自由だって犠牲にするので、こと風習に関しては労を惜しみません。生まれてこの方洗脳されっぱなしなわけです。当たり前のように半沢直樹を見ます。

繰り返しになりますが、楽しければいいわけです。楽しい訳でもないのに世間体や安定のために効力や意味や意義など一切考えずに行うのが思考停止だなーなどと思う今日この頃の俺だ。