Manchester’s Frozen

Until suicide

強迫症状とひきこもり

衰弱している。

子供部屋のベッドで仰向けになってただただ天井を見つめている。

生きるのが怖い。社会生活なんて無理。

夏に25歳になる。親は還暦を迎える。

 

立ち上がって歩くと、自分の背骨が折れるイメージが湧く。いつか自分の背骨が折れてしまうのではないかという恐怖がある。

そして実際に背骨がじわじわと痛み出している。意識するあまり、背骨の神経に負荷がかかっているのかもしれない。だから背中を抑えないとまともに歩けないし立っていられない。

 

原因は何なのか。

精神科によると強迫症状の強弱はストレスによって左右されるという。

しかし自分の場合は、ストレスも勿論だが、ひきこもりであることも要因の一つとして挙げられると思う。

ひきこもり研究で有名な斎藤環氏の『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』という本にそのことを説明する箇所があったので、引用する。

ひきこもりでよくみられる強迫症状も、対人関係を欠いた状態ではエスカレートしやすい印象があります。あるいは対人関係を回復すると、強迫症状が快方に向かうこともしばしば起こります。なぜでしょうか。

強迫症状はゆきすぎたコントロールの衝動です。しかし家族まではコントロールできても、他人は決して思い通りにはなりません。だから、他人とかかわるには、強迫を捨てるほかはないのです。

 

なるほど、家族以外の対人関係を欠いた状態は、「強迫症状が許されている状態」だ。家族関係の中では強迫症状が許容されている。

しかし家族以外の対人関係の中では、強迫症状が許されていない。だからそこに身を置くことで、必然的に強迫症状にブレーキがかかり、快方に向かうという。

 

確かに、社会生活をしていれば、強迫なんて気にしている暇も無いのかもしれない。自分もひきこもる前までは、細かな確認行為や不完全恐怖こそあったが、こんな異常な被害恐怖の症状は無かった。

 

こんな一寸先も分からない暮らしの中で、いつかは自分の中で折り合いをつけて社会生活をしていかないといけない。

生きることに前向きになれば、自ずと病状も和らいでいくのだろう。

しかし前向きになることが欲望化されないから、やる気が出ない。やる意義も見当たらない。それを甘えとされても仕方ない。実際甘えなんだろうし。

このままだと不安を払拭できず、病状も悪化するばかりである。

窮途潦倒の部屋。出口が無い。