Manchester’s Frozen

Until suicide

落ち葉拾い(手掴み)

父親が、家の敷地内の落ち葉を手掴みで一枚一枚拾っている。

俺はその光景にショックを受けた。

音楽やラジオを聞きながらではない、他に何かやりながらではなく、ただその作業だけを当然のように無心で行っているのだ。

どうやって生きたらそのような人間が出来上がるのだろう。

やりたいことなんて何一つ無いんだ。だから当然のように仕事をし、帰宅したら目的もなくテレビのリモコンのスイッチを押す。だから落ち葉拾い(手掴み)などという無為な行為も苦にならないし、損だとも思わない。人生の時間を「落ち葉拾い(手掴み)」に費す時間なんて一秒たりとも無いはずなのに、やりたいことも成し遂げたいことも無いから、そんな行為を平気で実行できる。

つまらなく生きる才能に溢れ過ぎている。

安定や世間体のためならどんな自由だって犠牲にするような人間だ、仕方ない。

死んで欲しい。死んだらいいと思う。何が面白くて生きているのか。

 

子供を生んだり、「生きる意味はある」などという仰天発言をしたり、「生きていて幸せ」などと失言したり、父親のしてきた全てが気に食わない。

子供を生むなんて絶望的につまらない人間の犯す犯罪だ。自分の人生の無意味さに気づかない人間ほど、生きる意味はあるとか生きていて幸せだとか平気で吐かす。自分の人生の無意味さに気づいたら、やってられないことの多さに気付くし、幸せになんてなれないから当然なのか。