Manchester’s Frozen

Until suicide

殺人させろ

無理。不安が尽きない。人生も精神も終わっている、許されない、全てに置き去りにされて、救いようがない。いつも自分だけ。助けてくれ(無駄)。

病名をくれよ。薬をくれよ。許してくれよ。何故みんなぼくをここまで苦しめる?

どうにもならんボロボロ、後は自殺するだけ、自殺する勇気も無い、何をやっても苦しい、ロープをくれよ、ぼくの救済はそれしかない。

今日もギリ生きている、不安に怯えながら耐えている。眠っている時だけが救い、早く眠りたい。でも昼夜逆転していてまだ夜だ、風呂に入らなきゃいけない、風呂が怖い。

逃れようもないこの苦痛。寂しいだけなのかもしれない。寂しいから誰かかまってくれよ。誰もいないね、ぼくだけいつも誰もいないね。可哀想だね。思考停止することもできない。

理不尽に勝つには自爆テロしかない。必ず勝ちたい。勝ちたかった。勝てやしない。だから苦しい。

同じようなことしか書けない。癒えない傷を負って頭は悪くなるばかり。

人間はここまでぶっ壊れられるんだよ、誰に理解されなくても、どれだけキモがられようとぼくが許す。救いようがなくても仕方ない。他にお前みたいな奴がいなくても仕方ない。お前は正しい。世界は間違っている。お前は許されるべきなんだよ。いつもお前だけが苦しい。お前は被害者。お前だけが被害者。俺はお前みたいな奴の苦しみが分かる。世界をぶっ壊そう。全員ぶち殺そう。無理だろう。無理だから苦しいんだ。逃げ道は無いんだ。全員死ねって思うよな。ぶち殺したい気分はどうすればいいんだ。何をやってもずっと報われなくて気が狂いそうなんだ。いつもお前だけ。それは本当に仕方ないんだよ。どうなったって許されるべきなのに。

お前には縋るものもないんだろう。誰からも無視されて、いつでも無理している、深呼吸しても無駄、ぼくもそうだよ。他にそんな奴いないだろ? 悲しい性だよな。

ぼくみたいな要らない人の居場所がどこにもないから、ぼくの奥底から大量殺戮マシーンと化したい気持ちが沸き起こってくる。TwitterのTLのつまらん奴全員殺したい。どんな試みも失敗してばかりだから。もう流石に我慢の限界だよ。ジョーカーの台詞を読んでくれ。

「僕にはもう失うものはない、傷つける者もいない、僕の人生はまさに喜劇だ、人殺しは笑えることだ、喜劇かどうかなんて主観だ、みんなだってそうだろ、この社会だってそうだ、善悪を主観で決めてる、同じさ、自分で決めればいい、(基準は)笑えるか、笑えないか、どいつもこいつも最低で狂いたくもなるさ」 「何故彼らに同情する? 僕が歩道で死んでも踏みつけるだろ、誰も僕に気付かない」 「あんたは最低だ、心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか、社会に見捨てられゴミみたいに扱われた男だ、報いを受けろクソ野郎」

もう我慢の限界だね。理性は血塗れ。ぼくみたいな人間が殺人犯になるんだなと思いました。殺人鬼の殺人予告ブログめいてる。誰にも要らない孤独な人間はどこで生きればいい?

誰かぼくの暴走を止めてくれよ。ぼくは本当はこんな人間じゃないんだ。誰よりも真面目で心優しき男なんだよ。本来のぼくを取り戻させてくれよ誰か助けてくれよ。ぼくはきっと殺人しない。家族が悲しむから。どうすれば理解されるの?

孤独について

圧倒的孤独。

人間関係は家族だけ。友達ゼロ、恋人いない、知り合いもいない、ひきこもりニートだから社会的な人間関係もゼロ。誰も自分を気にかけない。ラインも家族だけ。

家族がいるじゃないかって? 家族は他者との役割を果たさないんだよ。孤独の解消には「他者からの承認」が必要なんだ。

だからネットに居場所を求めた。でもネットでも孤立。何を放っても、誰からも素通り。誰からもまともな反応ゼロ。Twitterもブログも。

そもそもSNSで得られる承認なんて表層を撫で合う「毛づくろい的コミュニケーション」にすぎないというのに、自分にはそれしかないし、それすら皆無。

 

そして挙句は抑鬱状態。逃げ場が無い。生命の危機。不安や焦燥は取れず、倦怠感に覆われ、食欲は減退し、昼夜逆転して何もやる気が起きない。起き上がれない。セルフネグレクト状態。そして平日昼間に横たわっていることに対する罪悪感がぼくを余計に苦しめる。

今この部屋に首吊りロープがスタンバイされていれば即刻やっている。

 

ひきこもりニート、孤立した孤独、鬱という地獄の3点セット。

ひきこもりニートだから孤独になり、鬱になり、鬱が引いても孤独だけが残って、また鬱になるだけ。

 

精神科に行けばいいのか、でもやはり親の車で親の金で行くのは申し訳無いし恥ずかしいというプライドがある。もうおじさんだし。あまりにも惨めすぎる。でも本当に危ない時には頼るしかないと思う。世間の目が怖い。

 

もしかしたら鬱を治す価値すら無いという自意識があるのかもしれない。孤独による鬱を治しても、結局はただのひきこもりニート子供部屋おじさんが残るだけ。自分には助かる価値が無い。未来が無いから。生きる価値無い、どうせ何も得られないし。

 

完全な孤立。何をしていても震える。人として軸がぶれている。友達は薬だけ(薬すら無い)。ゆーれいみマン。マイスリー全部ゆめ。Sonic disorder。バリで死す。SOSは無駄。もう戦意喪失。

 

 

生身のままじゃ他者から承認されないから、何か価値が必要だった。しかし才能が無い。価値を作れない。誰にも需要が無いのに勝手に供給。誰も責められない。

 

自殺しようとしても誰も悲しんでくれない。だから自殺したくなる。誰か悲しんでくれたらやっと自殺できるから、自殺しなくて済む。もし自殺する時としても、精神的苦痛、絶望感は緩衝される。

誰も悲しんでくれず、全てに見放されて、生きてきた全てが無駄で、自殺してもしきれないほど追い詰められるから自殺したくなるのだ。伝説にすらなれない。これ以上の悲劇があるか?

もし死んだ後に価値になれるのなら助かってると思う。自殺配信をする人は、伝説になって、自殺と引き換えに価値になろうとする。

ぼくはそれすらできそうにない。

ああ嫌だ生きていたくない。

 

輪るピングドラムを見て分かったことは、何者にもなれない生きる価値の無い一般庶民は、愛されればいいということだ。何も残せないということに苦痛を覚える一般庶民は、誰かに愛されることによってその苦痛を免れる。それがピングドラム

「たった一度、だれかの『愛してる』という言葉が必要だった」という台詞があった。誰かにとっての唯一無二の存在になること。誰かに必要とされること。

ぼくはそうなりたくて何かを放ち続けるけど、どこにも引っかからないから尽きることは無い。終わりが見えない。ぼくは要らない存在のまま歯車を回し続けている。

 

今年は俳優とか女優の自殺が相次いだ、報道されるのが羨ましいと思う。

 

最近Twitterがインスタ化して、ぼくから余計に居場所を奪っていく。何をしても紛れないからここで吐き続けている。何かしてないと気が狂うからこうやって駄文を打ち連ねている。

 

これ以上無い絶望を想定して書いている。誰もが見落としている問題を炙り出そうとしている。でもそんな試みも中途半端。誰のためにもならない。

 

ぼくは救いようもないし、全てに見放されている。自分より終わってる人間なんていない。逃げ道が無い、もうどこにもない。誰にも許されない。

どれだけ叫んでも無駄。糸口さえ見出せない。毎日毎日繰り返し。毎日毎日「またか」と思う。どれだけ悩み抜いても何も変わらない。同じように苦しむ。その徒労感、無意味な苦痛に明日も耐えられるのか? 1時間先が怖い。すり減らして何とか呼吸している。

 

いつまで経っても岬ちゃんは来てくれないのでぼくは自殺してしまいそうです。これはぼくの遺書なんです。どうかぼくを忘れないでください。

飛び降り

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい助けて。本当に助けて。

何度も同じ事しかいわない。考えない。

逃れようもなく一人。居場所がどこにもない。自分には誰かと関わる資格が無い。誰のニーズにも合わない。誰にとっても害悪。

孤立して、もう何をやっても紛らわすことはできない。震えている。薬すらない。どうすればいい。リスカしても無駄、誰も見てくれないじゃん。

どうすればいい。起きて間もないのにもう眠りたい。空腹なのに息が詰まって喉を通らない、すぐ吐きそうになる。

もう逃げ道が無い。どうすればいいんだ。誰か助けてくれよ。

泣いても発狂しても吐いても切ってもODしても無駄。次眠るまで耐えるだけ。泣いたら発狂したら吐いたら切ったらODしたらどうにかなるならそもそも病まないと思う。

ずっと呼吸困難。自分に一体何が起こったのか。今までは何故耐えられたのか。

ぼくはひきこもりニートで、父親は出張中で、今この家には母親と2人だけ。母親には隠している。平気なフリをして無理して笑っている。恥ずかしいから。どうにもならないから。打ち明けたら余計に病みそうだから。惨めだから。死ぬほど辛いのに。一体いつまでこんな感じなんだろう。いずれ許されなくなる時期が来るだろう。精神も人生ももう何もかもが終わっている。

怖い。こんな日がいつまで続くのか。どうすればいい。助けてくれよ。誰に助けを求めればいい?

 

仮に飛び降りるとして、飛び降りる寸前まで助けを求めている。助けなど来るはずがない。だから飛び降りるまで追い詰められる。

Motorcycle emptiness

死にたくない人と一緒にいると死にたくなる。家族とか。といっても家族以外の人間関係は皆無だけど。

家族の会話などを聞いているとくだらなくてしょうもなくてショックを受ける。テレビとか親戚の話とか。でもまあ俗世ってそんなものだよな、自分がこうなる前に住んでいた世界。そんな人間が生きやすいということに不条理を覚える。そして何故そんなくだらないものに合わせなきゃいけないのか??

 

最近食欲が無い。だからクソほど痩せた。43キロ。空腹感はあっても固形物が喉を通らない。母親の作った飯を残すクソニート。家族は優しい。ぼくはいつまでもその優しさに甘えている。ぼくにはそんな家族を批判する資格はあるのか? 過去のことで親を恨むことはあっても、親がいなければ餓死する分際。

 

ニートの自責の念は地獄だ。生きているのが恥ずかしい。常に後ろめたさを持っている。

2016年に28歳で自殺した男の遺書的なサイトを読んだ。彼は生涯ニートだった。ぼくもそうなるような気がして戦慄している。

高校中退して田舎の実家の子供部屋でいつまでも親の扶養下でひきこもって空っぽに生きているおじさん、境遇は全く同じだ。

 

高校を中退して、そのままずっとひきこもりだ。年々きつくなってきている。苦痛は雪だるま式に増えていく。

恥ずかしいけど当初は一発逆転とか考えていた。ぼくは普通に大学出て就職すると思っていた。しかしなんというか押し退けられるようにドロップアウトした。だから不当だった。こんなはずじゃなかったから、残された人生を受け入れられなかった。そしていつまでも受け入れられない。この人生を拒絶している。なんなら終わりにしたい。逆転とかもう非現実的なのに。お先真っ暗だよ。

 

明日も予定が無い。やるべきことが無い。だから昼夜逆転してしまう。早起きする必要が無いからこうやって朝まで起きて夕方まで寝てる。うんこと精液を放つだけの家畜。

 

ぼくはどうせ起きたらまたオナニーをするだろう。性欲が湧かなくてもするだろう。ぼくはオナニーするために生まれてきたようだ。ぼくはどうせ何も残せないんだからオナニーだけしていればいいんだ。短小包茎中卒ひきニートおじさんはオナニーだけしていればいいんだ。

少し前に父親に自殺したいと話したら、「何のために生まれてきたんだよ」と訊かれた。知らねえ。こっちが聞きたいよ。多分意味なんてねえよ。ひとつあるとすれば、苦しむために生まれてきたんだろう。

No Ripcord

居場所なんてないよなぁ、完全に孤立した孤独の居場所が。だから絶望に次ぐ絶望で最悪の絶望に堕ちてしまう。Radioheadの『Ripcord』の「自由でいられるのは墜落するまでのこと〜お前がしょってる落下傘は開かないんだぜ」状態。ぼくは常に怯えている。居場所なんてどこにもない。

ここが誰かの居場所になれたらいいけど。そうすることで自分の居場所ができあがる。自作。そんな発想。でも誰も読んでくれないからなぁ。

 

大槻ケンヂと絶望少女達の『人として軸がぶれている』という曲が凄く好きなんです。

ああ、わかったぜ ふるえてる そのわけ
誰からも 支えられてないからさ

これはまさに前エントリの「レジリアンス欠乏症」の症状なんです。「他者」から承認されてレジリアンスを貰えれば、震えは止まる。

だがこの曲のラストはこうだ。

ずれるぜ!もうブレブレ人間でもきっと
君に会えば変わる?
(アタシがいるよ 気付いて、、、)

ぼくにとっての「君」はどこにいるんですか? 本当にどこかにいるのでしょうか。どこにもいませんよね。そういう投げやりな表現辞めてもらっていいですか。普遍性はないですよね。「気付いて」と願うことしかできないということは人間ではないのか。何故そちらから気付かせてくれないのか……

 

ともかくぼくにとって誰かと友好的な関係になることは困難だ。ぼくは基本的に自分から行けません。自分の気持ち悪さを自覚しているので、気持ち悪がられたら、迷惑がられたら嫌なので。そして誰かから求められることもありませんでした。ぼくはずっと何年もこんな感じです、ぼくはネット上で誰かと深く関わることは一切できませんでした。

ぼくは誰かの唯一無二の存在になりたいという地下アイドルみたいな願望を持っている。多分それが叶えば死ねるから、死なずに済むと思う。そうなれなければ死ねないから、死んじゃうと思う。

 

ぼくの居場所は精神病院しか無いような気がします。入院したことはありませんが、自分が自分でいられる場所はそこしか無いように思います。しかしぼくはこの子供部屋で圧倒的な孤独に耐えるだけです。拠り所とする病名があったらとか思ってしまいます。

 

ネットにしか居場所が無いのに、ネットにすら居場所が無い。孤立した孤独。それがここManchester's Frozenです。

首吊り

追い詰められて息が詰まる。固形物が喉を通らない。人生最大級に落ち込んでしまった。救済措置が無いから一旦は波が引いても、不安は消えない。また次の波が来るのを怯えながら過ごす日々。

 

今一番欲しいものは首吊りロープだ。いつでも首を吊れるという安心感で寧ろ苦痛を抑制できる。

 

先程両親の前で全部ぶちまけてしまった。母親は死んだら悲しむと言った。ごめんなさい、ぼくは自殺以外に救いを見出すことができません。

 

常に苦しい、働きたくない、生きている意味が無い、未来に絶望しかない等の理由で、自殺以外に救いを見出せない。

 

ぼくは首吊りについて詳しい。首吊りは苦痛も少なく手間もかからず、他人に迷惑をかけることもなく致死度も高い。自分が自殺するには首吊りしかないと思う。

 

自分が首吊りをする時のことをイメージする。

その時もし家族以外の誰か1人でも悲しんでくれるなら、止めてくれるなら、抑止力となって免れるだろう。家族以外というのが重要だ。

ぼくの家族は優しい。父親はたまに感情的になってぼくを追い詰めるが、いつだって味方でいてくれる。でもハインツ・コフートによると、家族は「他者」としての役割を果たさないらしい。

ぼくには家族以外の人間関係が皆無だ。だからぼくが自殺しようとしても誰も悲しんでくれない。家族に悲しまれてもそれは抑止力とはならないのだ。

だから圧倒的な孤独の中で自殺してしまう。誰も悲しんでくれないから自殺してしまう。

 

結局孤独だから自殺してしまうのだ。ゆーれいみマンだ。結局ぼくはただのかまってちゃんなのである。自殺しちゃうぞと叫んでも、誰からも返事ございません。

ぼくは圧倒的な孤独を「レジリアンス欠乏症」と呼んでいる。レジリアンスは各自調べてほしい。コフートのこととかも、斎藤環の本を読むと理解が早まると思う。

 

ぼくはこのままでは死んでも死にきれない。だからこそ死ぬしかないほど追い詰められるのだ。死んでも死にきれるという状態なら、余裕が出来て生き延びることができる。

 

ぼくは今すぐに眠りたい。起きている時間が苦痛である。もう一生眠っていたい。もう二度と苦しみたくない。助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて

恋愛とか承認とか

恋愛とは。恋愛とは、誰かの自由を奪うことであるとこの前見たAVで知った。

なるほど、恋愛に限らず、誰かと関わることって誰かの自由を奪うことなんだね。

ぼくが誰とも関われないのは、自分には「誰の自由だって奪う価値が無い」からであると言える。

何を放ったって誰からも素通りされる。だけどそれは仕方ない。誰も責められない。自分には誰かのその貴重な自由を奪うような価値が無いのだ。他人に「自分の自由を奪われてもいい」と思われるほどのメリットを齎すことができないのだ。

悲しい性です。