Manchester’s Frozen

Until suicide

26日(金)。

飼い猫が亡くなった。

 

癌を患っていた雌の飼い猫が亡くなった。

昨年10月末に手術して、無事成功して、しかし来年まで持つかわからないと言われていた。

しかし無事年を越すことができて、今日まで生きてくれた。


3時頃、自分は目覚めて猫の元へ行く。

猫はもう目はうつろで、心拍数も早く、動けない。

しかし数時間前に自力でトイレに行ったらしい。

家族で身体を撫でたり呼びかけたりする。

水をスポイトで与えたら飲むが、何度も苦しそうに鳴く。

その度に自分は涙を浮かべる。

もう一日何も食べていないし覚悟はしていたが、あまりにも急だった。

全員で撫でる。

感謝を込める。

たまに動画を撮る。

4時半頃、急に心拍数が上がり、口呼吸になり、呻き声をあげる。

手足をばたつかせ、苦しそうに喘ぐ。

そして痙攣して、全員に撫でられている状態で、4時42分頃に息を引き取った。

死後も撫でていた。

 

幸福だっただろうか。

快適だっただろうか。

病気は不運だった、苦しみの最期だった。

安らかではなかった。

 

その後は部屋に戻って落ち込む。

朝が来てしまった。

7時頃にバターチキンカレーを食べた。空腹だった。

雄の猫が困惑したように走り回っていた。


10時、家族が猫の亡骸を保管する棺のような段ボールを作る。そこに、気に入っていた紐と兎の玩具と御守りを入れる。

葬儀の予約をする。

 

 

一日中憔悴している。

 

こんな時に自分の耐え難い問題を話して家族に迷惑をかけてはいけない。

 

まだ実感が無い。まだ亡骸がすぐ側にあるからだろうか。

一日で何度も泣いたが、今のところは平静である。今後ペットロスにならないか心配である。

 

自分は常に心のどこかに自分の問題が引っかかっていて、今日を以てとうとうその恐怖から目を逸らせなくなった気がする。

 

そろそろ自分のことに集中しないといけないが、辛い。

 

 

11年前、自分が家出している最中にLINEで飼うことを知った猫である。

自分のような人間失格の烙印を押されたような人間に対しても平等に撫でさせてくれた。遊んでくれた。聖人のような猫であった。

あまりにも無邪気で人間の期待を裏切らなかった。

今後何のために続くか分からない苦しみに満ちた自分の人生の数少ない味方だった。

冷たい。動かない。硬い。

また鳴いてほしい。遊びたい。

寂しい。