善悪は、主体によってはじめて成立する。そして、主体は世界に属さない。それは世界の限界なのである。
←これ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 価値観の崩壊。マジョリティ支配。マジョリティにとっての善はマイノリティにとっての悪で、マイノリティにとっての悪はマジョリティにとっての善だったりする。
少なからぬ人々は、他人からほめられようと思っている。人から感心されたいと思っている。さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、尊敬すべき人間だと見られたがっている。それはちがうのではないか。人々から愛されるように生きるべきではないのだろうか。
ほんとそれですね。輪るピングドラム思い出します。2020年の秋頃に見て、傑作だ! って興奮したのを覚えています。「きっと何者にもなれない君たちに捧ぐ」というキャッチコピーがあった。
ピングドラムとは何なのかは作中ではっきりと明言されることは無いが、「愛」と解釈できると思う。
そのピングドラムは、林檎だった。その林檎の輪を作る。ピングドラムを分け合う。愛を分け合う。何者にもなれなくても、愛さえあればそれでいい。
また見返したいな。
愛されると嬉しい。愛されないと淋しい。愛されなくても、愛することができれば満たされる。愛が欲しくて見つめる。少しでも愛が感じられれば、胸が暖かくなる。愛するものがあれば夢中になれる。そういう愛の代わりになるものはこの世に何もない。幸福と呼ばれるものの中には必ず愛が含まれている。いや、愛こそが幸福そのものなのだ。
愛の代替物なんて無いんだよね。結局All you need is love……
幸福ってつまり愛のことだよねって言い切ってくれて有難い。愛無き幸福なんて贋造物でしかないと。
途切れない愛が無いと人は狂うのでしょうか。
幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である。
行動と情熱がなくなると、その世界は妬みに支配される。
まじでこれですね。ぶっ刺さる。
人を誘惑することのできないような者は、人を救うこともできない。
はい。言われてしまいました。
誰かを救いたいという思いがある。分不相応な英雄症候群。誰かに必要とされたいというやつ。
罪とは、存在する代わりに創作し、ただ空虚の中でのみ善と真とを問題にし、実在的にはそれであろうと努力しないことである。
ほう。
絶望とは死にいたる病である。自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである。
「それは死を死ぬことである」が解らない。
自殺を想うことは強い慰謝剤である。 これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
無理して生きてることも無い♪
過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる者の生涯は短く、悩み事が多い
過ちの連続。空虚な人生。
世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。
そうなのかもしれない。知恵や知識が不足しているだけなのかもしれない。