Manchester’s Frozen

Until suicide

産婦人科へ

生まれたその瞬間に死にたかった。生まれるべきではなかった。

 

人生は冤罪の罰ゲーム。人間は冤罪の罪人として生まれる。

人間は、人生という牢獄に間違って投獄されたのだ。

そしてその刑罰といえば、終身刑なのだ。人生という牢獄で、一生罰を受け続けなければならない。

人生は冤罪の終身刑であり、生きるとは贖罪である。

 

さてぼくは、この人生という牢獄から脱獄したい。ぼくの罰は、ぼくにはきつ過ぎた。罰の内容は人それぞれ。ぼくは運が悪かった。

 

そもそも冤罪なのだから、釈放されて然るべきなのである。人間は、安楽死という方法で、人生という名の不当な終身刑から逃れられて然るべきだ。

 

ぼくにどんな罪があるというのですか? 別に逃げていいですよね。脱獄は罪ですか? 脱獄は逃げですか? 冤罪の場合は違いますよね。

自殺は悪いっていう人は無知蒙昧、浅学非才の愚者です。

 

しかし裁判官は愚かだ。この場合裁判官は誰になるのだろう。

 

さて、その罰ゲームが楽しいと思った瞬間は幾度となくある。

この人生という罰ゲームが楽しくて、この罰ゲームを受け続けたいと思うこともある。

まだ楽しい罰ゲームが待っているかもしれないという期待がある。

罰ゲームを受けることには何の意味も無いけど、脱獄の苦しみよりはマシかなと思うこともある。

いつでも脱獄できるわけだから、もう少し、楽しいこともあるかもしれない人生という刑罰を受けていてもいいかなと思うこともある。

 

これまで受け続けてきた罰ゲームの中でも、家族と共に受けたそれはとりわけ楽しかった。その頃はまだ罰ゲームだとは知らなかったから、純粋に楽しむことができた。

そして今でも、家族と過ごす時間は、ほんの一瞬ではあるが、罰ゲームであることを忘却できる。

でも人には個人的な罰ゲームが待っていて、ぼくはそれに耐えられない。ぼくは人より耐久力が弱いのだと思う。罰の仕打ちの強さかぼくの弱さか、恐らくどちらもあると思う。

そしてぼくの罰は、基本的には誰とも分かち合えなかった。だから痛みは放置されて、肥大していくばかりである。耐えきれないほどに。

 

脱獄する時に、家族との思い出を作ってしまった分、苦しみは増大する。

人生という身柄に留まりたいという思いとほぼ同時に、この罰を受け続けないといけないのかという絶望感に襲われる。

ぼくはボロボロになっても、罰を受け続けている。やはりもっと家族と共に居たいし、楽しい罰ゲームが待っているかもしれないから。

そして、脱獄する時の後悔や未練が全て消え去ったその時に、脱獄したいと思う。いや、後悔は尽きないと思うけれど、欲望が尽きないのが人間だけれど、なるべくその量を減らしたい。

もしかしたらその時には耐久力は付いているから、身柄に留まることを苦に思わないかもしれない。

まあ無理だろうけど。

 

自らの罰ゲームの痛みを緩和するために、何の罪も無いのにぼくを人生という牢獄に投獄した両親との思い出が蘇る。

一生人生は罰ゲームだと知らずに死んでいく(終身刑を全うする)人が殆どなのだろう。

ぼくは長く生きてしまった分、死ぬに死ねなくなっている。ぼくが脱獄すれば、生きるのが楽しそうな両親から心の太陽を奪うことになる。

両親は呑気にのほほんと生きている。まさにそういうところがぼくを追い詰める。もう少し生きる痛みに敏感になってほしい。

ぼくはただ死ねないだけで、心臓が動いているだけ。

人生とは、泣けど叫べど狂えど藻掻けど〜死ぬに死なれぬ無間の責め苦(夢野久作の『ドグラ・マグラ』の「キチガイ地獄外道祭文」から引用)だ。

生きるとはなんらかの誤謬。錯誤。

 一日また一日と、私は「自殺」と手をたずさえつつ生きてきた。自殺をあしざまにいうのは、私からすれば不正、恩知らずのたぐいだ。自殺ほど理にかなった、自然な行為があるだろうか。自殺の反対物を考えてみるがいい。この世に在ろうとする気狂いじみた欲求がそれだ。人間の、骨がらみの病い、病いの中の病い、わが病い。

シオランの『告白と呪詛』から引用。

ぼくは今まで人生を様々な表現で例えてきた。ストックホルム症候群とか、強制イラ○チオとか。とにかく人生はかくも残酷な、無い方が良い地獄なのである。

 

ショーペンハウアーの『自殺について』が非常に良い。この本を読んで日本人は目を覚ましてくださいね。人間なんだから理性を持ちましょうよ。

 

反出生主義と安楽死ハッピーセットで世界をハッピーに。それが理想です。まあ永遠に叶わないだろうけどね。

 

 

この文章を産婦人科の人々に是非読んでほしい。そして、何かしら感じ取って欲しい。

あと、純粋に反出生主義というワードを知って欲しい。

産婦人科は敵だ。ぼくにとって産婦人科とは、オウム真理教級に害悪なカルトのアジトである。

 

ぼくはこの文章が、ぼくの存在と共に人口に膾炙され、多くの反応(主に高評価)を得ることを願っている。理想は、2016年に大きな話題となって流行語大賞にもノミネートされた匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね」の再来だ。

ぼくは革命を起こしたい。日本を変えたい。個人的に名声を得たい。

 

まあぼくは近いうちに脱獄(自殺)すると思うので、遺書みたいな形でこの文章は残ると思います。どうせ誰にも読まれないだろうなぁ。身を切られるように痛い。

現実と理想の差のギャップにノイローゼになってばかりの人生でありました。

何をやっても報われなかったなぁ。無駄な努力に疲れました。金にならないのはもちろん、褒められることが無かった。そもそも誰にも相手にされなかった。

ファンがつかなかった。死ぬまで僑軍孤進でした。

 

生まれたくなかった。

ぼくは近いうちに脱獄し、真の自由を得ます。痛みの無い世界へ……