Manchester’s Frozen

Until suicide

弟が暴走した

父親がくしゃみをした。弟は父親がくしゃみをするのを禁じている。弟は父親のくしゃみの音に不快感を感じ、それが我慢ならないらしい。だからその掟を破った父親を咎めた。

しかし父親はそれに反発した、「くしゃみしたくらいで」、「うっかりしてしまうこともあるだろう」と。

すると弟は突然目の色を変えて、父親に飛びかかって蹴りを入れた。そしてこう言った、「俺もうっかり蹴った」。

そして揉み合いになって事態は縺れた。

弟はキレて家の壁を何度も蹴った、「俺もうっかり蹴っちゃった」と言いながら。壁には穴が開いた。

母親が悲痛な叫び声をあげた。

今日は上京している妹が10ヶ月ぶりに帰省する。弟は何故か妹を毛嫌いしている。

妹から電話がかかってきた。弟は妹に「帰ってくんな。お前が帰ってきたらもっと暴れる。もし帰って来るなら、親が謝らなかったらお前を殺す。帰ってきてもいいけど、俺は止められねえよ」とLINEを送ったらしい。妹は大泣きしていた。

弟は壁を破壊することを止めない。

新たな壁の損傷を発見した父親は泣き出した。

それを見て弟は愉快そうに笑い出した。

数分後、両親は弟に土下座することにした。しかし弟は「もういい」と拒否した。両親が許してくれるのかと問うと、「許すかどうかは俺が決めること」と含みを持たせた返答をした。

父親は精神的に参って、夕餉に背を向けて自室に篭った。母親は私に愚痴を零した。弟はそのまま車でどこかへ出かけていった……

 

弟は昔から暴君である。学校では「絵に書いたように良い子」(小学生の頃家庭訪問で実際に言われた)なのに、家では家庭内暴力の鬼である。

 

私は3つ子である。私が長男で、妹、弟と続く。

家庭内では、弟は私と妹をサンドバッグのように扱っていた。私は分厚いゲームの攻略本を投げられ、瞼に傷を負った。その日のサッカーの練習は休んだ。弟は参加した。当たり所が悪かったら失明していたかもしれない。

妹の頭を踏みつけるなどは日常茶飯事であった。私は弟が後ろを通りかかる度に「蹴られるのではないか」という恐怖で身を縮こませた。それは癖となって大人になった今でも治らない。

 

では何故暴君となったのか。その謎を解くのは容易ではない。単に性格の問題と片付けられたら容易いだろうが、その場合何故そのような性格になったのかという疑問に突き当たる。

とにかく言えるのは、幼い頃から主従関係がはっきりしていた。弟には逆らえないし、力でも勝てない。不服でも従うしかなかった。下手に逆らったら痛い目に遭うのは目に見えている。頼みの綱は親しかいない。暴行は決まって親の目の行き届かないところで行われる。弟には「チクったら殺す」と釘を刺されたが、私は決死の思いで親にチクった。

両親は当然弟を叱った。しかし弟は不満だったようだ。自分が暴力をふるうのは自分が被害を被ったからなのに、何故その原因を無視して自分ばかり怒るのか。自分は被害者なのに、何故自分だけ加害者扱いされないといけないのか、悪いのはあいつ(私と妹)なのに…… そういった煮え切らなさがあったのだ。

しかし弟が受けたその「被害」というのはどういったものだっただろうか。それは「加害」に値するかは議論の余地があるようなものばかりであった。  例えば、私は鼻炎で痰を吐いたりすることが多く、それが不快だったからとか、妹が家庭内の自分の「陣地」に足を踏み入れたから、といったものだ。

それらに不快感を感じるとはいえ、そのフラストレーションをそのまま暴力で昇華させるという暴君ぶりは、「イライラするから」という理由で殺人さえも平気で行う仮面ライダー龍騎の浅倉威を彷彿とさせる。浅倉はまともな会話が通用しない。劇中で「あれはもう人間ではない、モンスターだ」と評されるような人物だ。

 

両親は「口で何度言っても聞かないから」という理由で、手を出したことも少なくない。鉄拳制裁である。

しかし弟はそれを逆手にとって私や妹に暴力をふるった。「親がしつけとしての暴力を正当化するから、俺もあいつら(私と妹)にしつけとして暴力しているだけだ」というロジックを築き上げ、やりたい放題した。

 

両親はもう諦めている。暴君は大人になっても暴君のままだった。小学生の頃には児童相談所に連れて行く案を本気で考えたことのある問題児は、結局更正しなかった。母親はもう「あいつはキチガイ……」と吐き捨てることしかできない。

 

両親は度々、「なんでこんな子供に育ってしまったんだろう」と愚痴る。弟はそのことを知っている。

いくら弟を叱っても、両親の育て方に全ての原因があるなら、両親は弟を叱る権利を無くす。弟は度々、それを逆手にとって「お前らがこういう人間に育てた(=だから俺が暴君であることは仕方ない、俺のせいじゃない)」と自らの暴力行為の正当化を図ろうとする。

 

もし逆の立場だったらどうだろう。もし弟の行動で不快に感じることがあるとしても、私は我慢するだろう。やめろと言ったってやめてくれないだろうし、苛立ちを暴力で表現するなどありえない。

自分の加害は(正当防衛として)許されるが、同じことを自分がされることは許さない。完全無欠な暴君である。

 

 

弟の名には、「優しい子に育つように」という願いが込められて「優」という漢字が使われている。

そんな願いも虚しく、この有様である。

幸せを求めて両親はぼくら3つ子を生んだ。結果的には失敗だった。

私の歴史は最悪なものだったし、弟も手に負えない。

父親は何でもない日常が「幸せ」だという。私はそれが羨ましい。私の眼の前には私をうんざりさせるような問題の壁が立ち塞がっているというのに。

私は父親のその楽観主義に傷付けられてきた。父親の残念な話は以前ブログに書いたことがあるからここでは省く。

 

もちろん弟は常に家族を嫌悪している訳では無い。口の悪さとかは相変わらずだが、私とも海外サッカーの話を交わしたりする。

しかし定期的に、調和のボタンのかけ違いが発生し、問題は暴走する。それを幾度となく繰り返す。

 

数時間後、父親が「素直に謝っておけば……」と嘆いた。深夜、弟が帰ってきた。明日はどうなるのだろう。