Manchester’s Frozen

Until suicide

レユニオン

俺はミシェル・ウエルベックという男が大好きだね。こいつに一生付いていきたいと思った。太宰も三島もどうでもいい。ウエルベックは小説を、何かを果たすための「手段」として書いている。小説を書くこと自体を目的としていない。だから登場人物のきめ細やかな心理描写とか情景描写は蛇足となる。彼の凄いところはそういうスタンスでやっていく旨を小説内で宣言しているところ。並々ならぬ強い意志や反抗心を感じられる。

 

彼のスタンスはジョー・ストラマーに通じる。そして真島昌利に通じる。つまりミシェル・ウエルベックとはパンクロッカーである。しかし真島昌利は今や穏やかな陽光の下パンクロックというブランコで楽しげに揺れ続けるオプティミズムおじさんである。ジョー・ストラマーはとっくに他界した。俺はペシミズムに惹かれる。ミシェル・ウエルベックは、世界に俺の求めるような息吹を吹き込む希少な存在である。

 

俺は感傷というものを唾棄する。そんなのはただの暇潰しでしかない。そういう作品の多くは実は無くても誰も困らない交換可能な劣化コピー。感動ポルノか金のために作られたゼロ年代の復元。楽しみたいなら是非どうぞお好きなように。24時間テレビで泣いて生殖して鬼滅見て感動してくれ。俺にはそういう大人が豚にしか見えない。

俺は分からない。狂ってるのは世界か自分の方か。動物園や水族館なんて正気の沙汰とは思えない。多分俺が狂ってる。薬で治してほしい。俺を正常に戻して欲しい。

正常はもう終わり。

お前らいい加減目を覚ましてくれ。

 

俺は18の頃からこんな感じだ。いつだって同じことばかり考えて同じ結論を垂れ流している。もういい加減飽きたよ。一生愚痴で終わるだろう。一生愚痴を垂れ流して死んでいくのがもう見えているからピングドラムを回してくれ。

 

しかし個人的なことを言うと、進化なんてもう望めないのかもしれない。脂肪が付いて寧ろ鈍足になった。語彙力も表現力も落ちた。昔の俺は天才だった。今はもう振り返るのが怖い、嫉妬するから。

 

 

((ちなみに俺はハイロウズ時代とソロ時代とブルーハーツのアルバム収録のソロ曲での真島昌利を愛している。

とりわけブルーハーツのアルバム収録のソロ曲は特筆に値する。彼の作品の中でもとりわけ写実的で、切実なリアリズムが攻撃性を孕んだブルースに乗せられて放たれる。ロックのルーツがブルースにあったのも頷ける。