Manchester’s Frozen

Until suicide

生きる意味無い奴等がのうのうと生きやがる。空っぽの奴等が。

ぼくはもう限界で死にそうなんだ。まだ自分のためにやりたいことがあるのに。有意義なことが。TVドラマ見て遊園地で楽しめるような奴等が生き延びて、ぼくは死ななければならないのか。

生きた証を遺したいのだ。復讐したい。全てが無駄になるなんて耐え難い。苦しんできた意味が無い。

高校中退して、ここまで生きてきた。

働かずに、ひきこもって過ごしてきた。

精神疾患になった。

それが原因で鬱になった。

その二重苦でとても苦しい。

誰一人助けてはくれない。

誰一人心配してくれない。

誰一人気にかけてくれない。

誰もぼくの存在を知らないから。

友達も一人もいないし、ネットでも孤立している。

自殺しても誰一人悲しまない。

悲しむ人がいれば心配してくれたはずだから、仕方ない。

もう苦しい。

もう耐えられないよ。

死にたくないよ。

まだやりたいこともやり残したこともたくさんあるのに。

別に自殺しても誰も悲しまないから。

誰からも必要とされていないから。

仕方ない。

メンクリ

メンタルクリニックに行ってきた。

土曜日からの強迫症状が原因で鬱になり、身の危険を感じたから。

 

自分のスペックと言えば、中卒ひきこもりニート、職歴無し、友人・知り合いゼロの精神病。ネットですら孤立している。

医者に自分のプロフィール的なことを詳らかに話しているうちに、あまりの救いようの無さに、改めて問題が山積みであることを思い知らされた。

とりあえず強迫症状と鬱の辛さを訴え、SSRIを処方してもらった。

そして、穀潰しの分際で親の金で診察を受け精神薬を貰うという罪悪感に近い後ろめたさを感じながら帰宅した。

 

診察中に「はい/いいえ」で答える診断をさせられたのだが、結果は「精神衰弱した怒りっぽい、神経過敏な死にたがり」みたいな感じだった。なんかもう泣けてくるし、その涙が誰にも拾われないから、涙からまた涙が出てくる。

 

一つ心残りは、病名が付くのか訊きそびれた。「精神病」は自称でしかない。でも病名が付いてくれないと困るレベルの症状があるという自認があるから、訊くべきだったと悔やんでいる。

 

自立への道は遠ざかっている。動けるうちに動いておくべきだった。

親との対話①

いつの日かの親との対話で、こういう一幕があった。

 

私「人生が上手くいった人には分からんよ」

母「人生が上手くいったと思ってるの?」

私「そう」

母「いや、そんなことはないと思う」

父「普通にだよ」

母「いや、子供がこんな辛い思いをしているということは全く親として失格だ、上手くいってないです」

私「そうやって言うことが良くないと思わないのか?」

母「思わない。正直なこと言った」

私「え、じゃあ『わかる』って言いたいのか?」

母「え?」

私「『上手くいった人には分からないんだろうな』って言ったでしょ、最初ぼくが。でも『上手くいってない』って言うでしょ。だから、ぼくのことが《わかる》って言いたいのか」

母「ああ、そういう風になっちゃうか、それはちょっとごめん」

私「だからそうじゃん、『上手くいってる人』じゃん。たとえ上手くいってないと思ったとしても、汲み取って欲しかった」

 

まず肯定から入るべき。それがカウンセリングの基本だと思う。否定することは、SOSを弾き飛ばす行為だ。沈みゆく泥沼から伸ばした悲鳴の手を掴んでおいて、救済と見せかけて離す行為だ。

 

母親は理解してくれる。父親は救いようがない。いつも、手遅れになってからことの重大さを思い知るタイプ。「普通にだよ」という台詞なんて思考停止もいいところだ。そういう適当な部分でどれだけ苦しめられてきたことか。

なんかもう、やりたいこと、やり残したことばかりだけど、もう無理かもしれない。このままでは死ねないのに、もう精神的に無理なんだ。使わずに遺品になるのかもしれないけど、もう仕方ない。

ごめんなさい、本当にごめんなさい。

家族には感謝しています。今までありがとうございました。

もう言いたいことも言いきれません。余裕がありません。本当にありがとうございました、それだけです。

ぼくはぼくの行くべき場所へと旅立ちました。どうかぼくのことで気に病まないで、これからも家族で仲良く生きてください。

あとは死ぬだけ

もう頭打ちだね

もう答えは出ている

あとは世界が頑張る番だよ

 

ぶっ潰したいよ

世界を埋め尽くす

世界を粉砕する

世界を止める

悲劇を止める

現行の世界を転覆させる

この地獄の船を転覆させて

世界人類全員を溺死させる

人類を終わらせる

赤信号を渡る

たまには必要さ

永久に変わらない赤信号の奥で

耐えられない理不尽が起こっている

私にはそれが見えてしまう

「私には」

それこそが理不尽

世界はルールの中

逸脱することは禁じられている

守れるのは強い奴だけだった

禁じられていることが

許されないことが

世界を変える

それを知っている

強硬手段

オウムの二の舞

悪魔になる

天使は豚

 

無理さ

無理だろ

山手線が限界さ

損害賠償

家族泣いて

自死遺族

ごめんねと

手遅れで

忘れ去られる

結局個人の闘いに収斂されて

負ける

 

精神薬をくれよ

素面じゃつらい

何を流し込む?

好きな音楽? 漫画?

精神薬漬けの毎日

世界は変わらない

愛も届かない

悲しい性ですね

逃げ場は何処にもない

ダラダラと眺めるTL

自分だけが置き去りにされている

助けを求めても

誰からも素通り

悲しい性ですね

 

もう頭打ちだね

もう答えは出ている

あとは世界が頑張る番だよ

 

でももし自分が頑張れば

だけどもう余裕が無い

頭悪いままで進化しない

常に震えてペンを持てない

余裕があるうちに頑張っておけば

そうすれば届いたのか?

本当か?

本当は初めから無理だったんだろ

時が来たんだよ

後は死ぬだけ

存在証明

根本解決できなければ死んでもいいよな? 精神疾患安楽死が適用されない理由が分からない。

 

しかし結局は寂しいだけなのかもしれない。

存在の証明ができていないまま末期症状に陥った。まだ余裕のあるうちに手を打っておくべきだったのかもしれない。誰かの朝で目覚められるような状態であれば、少しは安らかに眠れるだろうし、そもそもここまで症状が悪化することも無かったかもしれない。孤独が孤立し過ぎてどこまでも歯止めが利かなかったのだ。

それは予兆も無く訪れた。今も恐怖と闘いながらこれを書いている。

中卒ひきこもりニートのぼくは常に孤立していた。未来は真っ暗で、過去の憎悪に怒り震えたり、周囲を羨んだり嫉妬したり、病名も無く、誰にも会えず、どこにも行けず、許されないまま苦しい日々を過ごしていた。

しかし昨年の冬の初めに、上京していた弟が実家に帰ってきた。

その日を境に、ぼくの精神は少し安定した。ここ数ヶ月Twitterに浮上しなかったのはそのためだ。孤立の苦痛に平気なフリばかりしていたが、全ての苦痛が癒えたのだ。もう困難なことは無かった。

しかしそんな日々は長くは続かなかった。つい数日前、末期症状が訪れた。それは予兆も無く現れた。

今度は末期症状に平気なフリをする日々が始まった。

つい数日前の正常だった頃の自分にはもう永遠に戻れないのだろうか。楽しいことがたくさんあった。ニートだから後ろめたかったけど。

やり残したことがたくさんある。やりたいことも。せめて悔いのないようにやり通したかったけど、それができないのが辛い。身辺整理が完全にできるかが不安。いつでも死ねるように生きてこなかったから。

そして家族を心配させたくない。悲しませたくない。不安にさせたくない。けれど許してほしい。

できれば生きたかった。生きたかったよ。復讐したかった。愛されたかった。

でももうきっとしんどい。生きるにはしんどすぎるよ。死なせてくれよ。死ぬことを許してくれるはずがないよな。

泣いても叫んでも無駄。いつか本当に良くなるのか? もうこれ以上苦しみたくない。

 

生きた証なんて残らないと思う。その辺の一般市民だから。だからその代わり、誰かの記憶に残れればいいのだろう。しかしぼくはそれすら望めない。

 

存在について考える。存在証明できないまま死ぬということについて。

証明されていない存在は生きていないから、死ぬこともできないのではないか。だから殺人や自爆テロを犯してしまうのではないか。

自殺するまで追い込まれて、しかし死ねないから、せめて生きてから死のうとするのではないか。存在してから死のうとするのではないか。

存在している状態の死とは、死ぬことができる状態での死ではないか。

だから、存在していないと「このままでは死ねない」と思うのではないか。

このままでは存在できないまま死んでしまう。死ねないまま。だからここまで追い込まれる。